陸上 競技 歴史。 【スポランド】陸上競技の歴史

東京オリンピック2020|陸上競技|競技紹介:朝日新聞デジタル

陸上 競技 歴史

パラリンピックは、ドイツのボンに本部を置く国際パラリンピック委員会(IPC:International Paralympic Committee)が主催する、身体障がい者スポーツの総合競技大会です。 1948年にロンドンでオリンピックの開会式がおこなわれたのと同じ日に、イギリスのストーク・マンデビル病院にて、第二次世界大戦で負傷した兵士たちのリハビリとして開催された競技大会が起源だとされています。 これはドイツ出身の医師ルートヴィヒ・グットマンが提唱したもので、入院患者向けの競技大会として毎年開催されていました。 やがて1952年には国際大会となり、1960年にはグットマンが会長となって「国際ストーク・マンデビル大会委員会」が結成されます。 1988年のソウル大会から、「パラリンピック」が正式名称となり、1989年にはIPCが設立されて、オリンピックと同一の都市で開催することとなりました。 シンボルマークは、2004年のアテネ大会から使用されている3代目。 世界の国旗でもっとも多く使われているという赤・青・緑の3色を用い、人間のもっとも大切な「心(スピリット)」「体(ボディ)」「魂(マインド)」を表しています。 パラリンピックの原点は、戦争で負傷した兵士たちの社会復帰を進めるためのリハビリで、その目的は「福祉」でした。 IPCは、スポーツを通じて障がいのある人にとってよりよい共生社会を実現することを理念とし、「勇気(負の感情に向き合い、克服しようとする精神力)」、「強い意志(難題に対し諦めることなく己の限界を突破しようとする力)」、「インスピレーション(心を揺さぶり、駆り立てる力)」、「公平(多様性を認める力)」の4つの価値を重視しています。 ただオリンピックと同様に、パラリンピックもまた障がい者スポーツの最高峰とみなされるようになり、福祉的な側面よりも競技的な側面に注目が集まるようになっていきました。 日本でも、福祉の観点から長らく厚生労働省の管轄下にありましたが、2014年からはスポーツ振興の観点から文部科学省へ移管されました。 1988年のソウル大会以降はオリンピックと同一の開催地となったことから、パラリンピックへの注目度もより一層高まっています。 障がい者スポーツへの認知度向上などの成果があった反面、オリンピックと同様にメダルを獲得できるかどうかに関心が集まることから、ドーピングや競技用車椅子などの高額化、障がい者を装った健常者の出場などの問題点も指摘されているのが現状です。 パラリンピックならではの競技ルールを紹介!陸上や水泳など 2020年に開催される東京パラリンピックでは、22競技539種目が実施されることが決定しました。 そのうち陸上が168種目、水泳が146種目と、2競技だけで60%近くを占めていて、花形競技といえるでしょう。 陸上では、視覚障がい、車椅子や義足などの下肢障がいなど、障がいの種類や程度によって細かくグループ分けがされています。 車椅子競技では「レーサー」と呼ばれる専用の車椅子を使うのですが、下り坂では時速50kmものスピードが出ることもあり、かなりの迫力です。 また視覚障がい者は「ガイドランナー」と呼ばれる伴走者と一緒に走ったり、跳躍や投てきなどの種目では「コーラー」と呼ばれる人の指示で競技をしたりしています。 水泳でも、障がいの種類や程度によって細かくグループ分けがされています。 飛び込みスタートが困難な選手は水中スタートが認められている点や、ゴールタッチやターンの際に壁にぶつかるのを防ぐため、コーチが「タッピングバー」という棒を使って壁の接近を知らせる点などが一般の競技と異なる部分です。 その他、パラリンピックの原点であるストーク・マンデビル病院からおこなわれているアーチェリーや、スピード感あふれる車椅子バスケットボール、座ったままおこなうシッティングバレーボールなども、近年人気を集めています。 2020年の東京大会では、新たにバドミントンが正式種目として採用されました。 SU5クラス(上肢機能障がいなど)で世界ランキング1位になった鈴木亜弥子選手に期待がかかっています。 パラリンピックの「パラ」とはどんな意味? 「パラリンピック」という名称はもともと、1964年の東京オリンピックにあわせて開催された、第13回国際ストーク・マンデビル競技大会の愛称でした。 下半身麻痺者を示す「パラプレジア」という言葉と、「オリンピック」を掛け合わせた造語です。 1985年、IOCが「パラリンピック」を正式な大会名として使用することを認め、この時点でパラブレジア以外の障がい者も数多く参加していたことから、意味をギリシャ語の「パラ」と「オリンピック」を掛け合わせたものに変更しました。 ギリシャ語の「パラ」は英語の「パラレル」の語源となった言葉で、「もうひとつの」という意味があります。 1988年のソウル大会から正式名称となり、この時にさかのぼって1960年のストーク・マンデビル競技大会が第1回パラリンピックとされました。

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カネボウ陸上競技部|歴史

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陸上競技の始まり 陸上競技は、走る・投げる・跳ぶ・歩くなど基本的には道具をほとんど使うことなく競い合う競技だ。 その歴史は非常に古く、紀元前776年に行われた第1回の古代オリンピックではすでに走る種目が行われていた。 しかし、古代オリンピックよりもさらに前から人々は走・投・跳・歩といった運動を行っており、祭事として競技会が開催されていた。 競技に用いられる運動の様式自体はいつ生まれたと断言することはできないが、それを競う競技会としての発生は非常に古いものであると言える。 世界的に見ると非常に長い歴史を持つ陸上競技だが、日本の陸上競技の歴史はかなり後れて始まった。 日本でも、走・投・跳・歩といった運動の様式自体は存在していたが、陸上競技とされたのは、明治時代に入ってからだ。 イギリス人教師によって伝えられたと言われている。 「走」の歴史。 リレー オリンピックでの日本代表の活躍が記憶に新しいリレーだが、その起源は神聖な火を儀礼や祭礼に運ぶための方法として行われたものと、政府が重要な情報を全国各地に早く伝えるために行ってきたものという2つの系譜があった。 現在行われているような形のリレーは1893年にアメリカで誕生した。 当時、アメリカの東西に渡って郵便をリレーして配達する馬から発想を得て、バトンを受け渡して走るリレーを思いついたということだ。 オリンピックで初めてリレー競技が行われたのは、アメリカでのリレー誕生から15年後の1908年ロンドン大会で、メドレーリレーが行われた。 日本で初めて正式にリレー競技が行われたのはさらに後で、1913年だった。 「投」の歴史。 砲丸投げ 砲丸投げが競技として行われるようになった背景には、古くからの人間の生活が大きく関わっている。 かつて人間は食料を得るために狩猟を行っていたが、その際に獲物を狩るための手段として、重い木や石、金属などを投げていた。 狩猟という大きな目的のためにものを投げるということは古くから行われており、それらの行動が今の砲丸投げをはじめとする投てき種目につながっていると考えられる。 現在のような砲丸投げが行われるようになった起源には2つの有力説がある。 1つはアイルランドのダブリン大学での陸上競技会の種目に鉄製の砲丸を使った競技が採用され、それが今の砲丸投げに至っているというものだ。 もう1つは兵士が大砲に使用する弾丸(砲丸)を運搬する手段として砲丸をより遠くに投げるコンテストをしていたものが競技になったというものだ。 いずれにせよ、ものを遠くに投げるという投てき種目の考えは非常に古くから存在していた。 砲丸投げは近代オリンピックの第1回アテネ大会(1896)から2016年のリオデジャネイロ大会まで行われている。 「跳」の歴史。 棒高跳び かつて狩猟によって生活していた人間は獲物を追っている時に川や溝、濠に出くわすとそれを越えるために木切れや棒を使って対岸へ渡っていた。 対岸へ渡るという行為は高く跳ぶというよりも遠くへ跳ぶということだが、棒を使って跳ぶという行為は古くから行われていた。 現在のような棒高跳びが行われるようになったのは18世紀? 19世紀にかけてドイツの体育指導者が身体訓練の1つとして行わせていたことがきっかけだった。 その後、1866年にイギリスで行われた競技会で棒高跳びが採用されたことで、陸上競技における棒高跳びが始まったと言われている。 ちなみに日本へは、イギリスでの始まりから少し後の明治初期になって棒高跳びが伝わった。

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陸上競技の始まりと歴史について

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陸上競技は、新たな新記録へ懸ける選手達のストイックさもひとつの魅力です。 また、古くから人々に親しまれてきた競技でもあります。 ここでは陸上競技の歴史を解説します。 陸上競技の生い立ち 陸上競技の長い歴史を紐解くと、古代ギリシャまで遡ります。 もともと陸上競技は、速く走ったり、遠くまで槍を投げたりと、戦場で的を倒すための軍事訓練の一環として行なわれていたと言われています。 紀元前500年代から、ヨーロッパ各地で競技会が盛んに行なわれていましたが、今で言うスポーツではなく、まだまだ軍事訓練としての意味合いが大きなものでした。 第1回古代オリンピック 紀元前776年に第1回古代オリンピックが開催され、公式な競技として陸上競技が行なわれました。 この大会での陸上競技は、スタディオン走と呼ばれる短距離走のみでした。 スタディオン走とは、スタディオン(スタジアム)を語源とする競技で、スタート地点から祭壇まで誰が一番早くゴールできるか、というシンプルなものだったと伝えられています。 また、選手は勝つために身体を引っ張ったり、故意にぶつかって倒したりと、妨害行為を働くのが常という、現在では考えられないものでした。 古代オリンピックの衰退 古代オリンピックが現代スポーツ的側面を持ち、優勝者への税の控除や、選手の神格化などが行なわれるようになった一方で、審判を買収するものが現れるなど、不正が横行するようにもなりました。 そうして古代オリンピックは一気に衰退していきます。 また、当時「暴君」と呼ばれたローマ皇帝ネロによるオリンピックの私物化も衰退の大きな原因のひとつでした。 その後、ギリシャの国教がキリスト教に変わると、キリスト教にとって異教であるローマ神を崇める古代オリンピックは禁止され、その長い歴史に幕を下ろしたのでした。 競技の近代化と普及 その後も陸上競技自体はヨーロッパを中心に広く愛され、競技の細分化やルールがしっかりと制定されていきます。 そして、1896年に行なわれた第1回アテネオリンピックをきっかけに、急速に陸上競技が世界へと浸透していったのです。 日本の陸上競技の歴史 日本での陸上競技の始まりは、明治時代の海軍兵寮学校の遊戯会として開催されたものと言われています。 次第に馴染みのある運動会へとかたちを変え、陸上競技が全国に広まりました。 オリンピックへの参加 1909年に国際オリンピック委員総会において、嘉納治五郎が委員として選出され、スウェーデンでの第5回ストックホルムオリンピックに日本の参加が決定しました。 日本からは陸上競技の三島弥彦と金栗四三の2名が出場しましたが、100mと200m走1次予選敗退、400m走は準決勝棄権、マラソンも棄権という結果に終わってしまいました。 しかしその後、第9回アムステルダムオリンピックで、三段跳びの織田幹雄選手が15m21cmという記録を出し、日本人初の金メダルに輝きました。 全国の陸上競技場をお探しの方はこちらへ.

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