佐世保 小 六 女児 同級生 殺害 事件。 小6女児同級生殺害事件

謝るなら、いつでもおいで 佐世保小六女児同級生殺害事件 新潮文庫 : 川名壮志

佐世保 小 六 女児 同級生 殺害 事件

佐世保市立大久保小学校(撮影) 場所 東大久保町9-10 日付 (平成16年) 午後0時30分前後 攻撃手段 首への斬りつけ 攻撃側人数 1人 武器 死亡者 小学6年生の女児(12歳) 犯人 小学6年生の女児(11歳) 動機 同級生同士の人間関係のもつれ(諸説あり) 対処 加害女児を、に送致 少年審判 長崎家庭裁判所佐世保支部 影響• の配置を強化• インターネットモラル教育の見直し• 暴力描写がある番組の放送中止(一時)• の実態調査が行われ、道徳教育の重要性が認識される• 模倣事件の発生• 前後の事件も含めたの多発によりを改正 佐世保小6女児同級生殺害事件(させぼ しょうろくじょじ どうきゅうせい さつがいじけん)とは、午後、ので、6年生の女子児童が同級生の女児にで切り付けられて死亡した事件。 小学生の女子児童による、小学校が現場となった殺人事件であり、世間に大きな衝撃と波紋を広げた。 被害者の死因は、首をカッターナイフで切られたことによる多量出血だった。 はこの事件を 長崎県佐世保市女子児童殺害事件と呼称し、大臣談話を発表している。 概要 [ ] 事件の現場は、の中腹に所在する、佐世保市立大久保小学校である。 犯行を行った加害女児と被害者は、互いにコミュニティーサイト()の提供するを運営し、でや、で書き込みをする仲だった。 しかし、後述するトラブルを巡って、加害者と被害者の関係は悪化していた。 当日、加害女児は午前中の授業が終わった後の給食準備中、被害者を3階の学習ルームに呼び出し、そこでカーテンを閉めて椅子に座らせ、手で目を隠し背後から首と左手を切りつけた。 被害者の首の傷は深さ約10センチ(普通の大人の首の太さは直径で13 - 15cmぐらい)、長さ約10センチになり、左手の甲には、骨が見えるほど深い傷(防御創)があったという。 加害女児は殺害方法として、カッターナイフの他に、で刺すことなどを検討していた が、加害女児が前夜に見た(同県ではで放映)テレビドラマ『6』にカッターナイフで人を殺害する場面があり、女児自身「これを参考に殺人を計画した」と後に供述した ことから、その後、各テレビ局が殺人シーンのあるドラマの放送を自粛する事態にもなった。 また、被害者家族、学校関係者、惨状を目の当たりにして(PTSD)を負った救急隊員に、惨事ストレスやの兆候が見られる状態になった。 に端を発していることや、当局の情報よりもインターネット上の情報が先行した点で、IT化した現代社会を象徴する事件とされる。 事件の背景 [ ] 加害女児はもともと日常では無口な少女で、事件後に両親と面会した際にも母親が静かに涙を流していたのに対し、少女は何も言わなかったという。 しかし犯行前夜には父親に「この本、読みたい?」と聞かれ微笑んで「うん」と言ったというエピソードや父親の話から、の言う父親から少女への虐待の事実はなかったものとみられる。 少女は小さいころ、帰宅すると父親の膝に乗って話をしたりしていた。 テストで100点を取ったときは「すごいやんか。 100点やんか」と言われて褒められた。 加害女児は事件よりかなり以前から、ホラー小説『』と小説『』のファンだった。 事件を起こす4カ月前には『バトル・ロワイヤル』の小説を同級生に貸し出しており、またの『』にも興味を示し、父親に買ってもらいたいという発言をしていた。 やがて、それらのホラー小説などの影響は、加害女児の現実における行動にも現れるようになっていった。 被害女児とは仲が良く、ウェブサイトや他の子を交えたでの付き合いもあった。 2人は共に地域のクラブに所属していたが、小学5年生の終わり頃に加害女児は受験勉強を理由にミニバスケットボールクラブを引退している(学校では加害女児はコンピューター研究部に、被害女児は映画研究クラブにそれぞれ所属していた)。 この引退が加害女児にとっての「居場所」を奪い、孤立を深める原因の1つになったとされる。 このころから女児はインターネットを唯一安心して自己を表現できる「居場所」にしたとされる。 加害女児の成績は中の上で 、おとなしい普通の女子児童であったが、5年生の終わり頃から精神的に不安定になっていったと周囲の人々は語っている。 人と話すときに人の目を見なくなり、目を泳がせて落ち着かない素振りを見せることがしばしばあり、また些細なことで逆上し、罵詈雑言を吐いたり、カッターナイフを振り上げるようなこともあった。 ちょっかいを出してきた男子児童には笑顔を見せながらも追いかけ回して捕まえると殴ったり、蹴ったり、押し倒して体を踏みつけるなどの暴力を振るって、同級生が慌てて止めに入ると、「くそっ」と怒りをあらわにした が、担任は特に深刻に捉えてはいなかった。 また同級生に対して、他の児童とともに集団いじめを行ったりすることもあった。 6年に入ってから暴力的な言行が増えていったという加害女児だが、担当の教師からの評判は「遅刻も少なく、授業中も率先して手をあげて質問する積極的な生徒」というものであった。 この時期の1月にウェブサイトを開き、『バトル・ロワイヤル』の小説を発表している。 学校で将来志望を小説家か漫画家と書いたことがあるという彼女は続編を予定していて、それは6年生のクラスと同じ人数の38人が殺し合いをするストーリーで、各キャラクターモデルや名が同級生に似ているといい、被害女児と同姓の登場人物も描かれており、物語の中で殺害されているという。 5月下旬頃、遊びで被害女児が加害女児をおんぶしたとき、加害女児に「重い」と言い、加害女児は腹を立て「失礼しちゃうわ」と言った。 実際には加害女児はほっそりしていて、とても太っているとは言えず、加害女児は冗談を深刻に受け止めてしまったとみられる。 その後、被害女児は自分のウェブサイトに「言い方がぶりっ子だ」と書いた。 それを見た加害女児は、予め交換していたパスワードを使って被害女児のウェブサイトに侵入し、その記述を削除した。 しかしその後、再び同様の書き込みをされ、加害女児は被害女児に殺意を抱いた。 被害女児は自分の掲示板が不正に書き換えられたことについて 荒らしにアッタんダ。 マァ大体ダレがやってるかヮわかるケド。 心当たりがあるならでてくればイイし。 ほっとけばいいや。 ミンナもこういう荒らしについて意見チョーダイv じゃまた今度更新しようカナ。 と書いた。 それを受けて加害女児は、被害女児のネット上のを消去した。 ほかにも、被害女児を含めた同級生達と手書きの合作ノートを作っていたが、ここでも同時期に他の子とトラブルがあり、事件のわずか前に被害女児を通じて退会を求められていたという。 加害女児は事件後、収容先の自立支援施設で(広汎性発達障害・)と診断されている。 一方で、昭和大学医学部精神医学講座主任教授・医師は、加害女児に下された発達障害の診断は誤診だと指摘している。 加害女児には被害者を含めた同年代の友人がおり、交換日記やウェブチャットなどで仲間とも交流していたことから、岩波医師は「アスペルガー症候群の『対人関係の障害』の診断基準を満たす特徴は見いだせない」としている。 時間割 [ ] 加害女児の人格的特性(家裁審判決定要旨)• 対人的なことに注意が向きづらい特性• 物事を断片的に捉える傾向• 抽象的なものを言語化することの不器用さ• 聴覚的な情報よりも視覚的な情報の方が処理しやすい これらの特性は軽度であり、何らかの障害と診断される程度には至らない。 事件の経過 [ ] 出典: 5月ごろ [ ] 加害者と被害者の他数人で回していた交換日記を巡ってトラブルが起きた。 加害者が使っていた表現を他の参加者が真似したところ、加害者がその表現の使用を禁止すると主張した、というようなものである。 この主張に対し、被害者が反論したことで、加害者と被害者の決裂は決定的なものになった。 このころから被害者が加害者の容姿や性格についての悪口を書き込んでいたとみられ、加害者は後の供述で「掲示板に嫌なことを書かれ、やめてほしいと言ったが、やめてもらえず、いやになった」と話した。 後の供述で、「事件数日前に『この世からいなくなってしまえ』と思った」と話しており、このころから殺意を覚えていたものとみられる。 5月末、加害者は被害者のウェブサイトに侵入、中味を改ざんして、アバターをカボチャに変えた。 被害者がブログでウェブサイトが改ざんされたことを報告した。 加害者が再び被害者のウェブサイトに侵入、初期化した。 被害者がブログでウェブサイトが初期化されたことを報告した。 加害者は事件の4,5日前に父親に勧められてでノンフィクションの本を購入した。 事件当日 [ ] 2時間目の休み時間 被害者が交換日記を抜けたい旨のメモを友人に渡した。 午前中にこのメモが加害者に届けられた。 加害者は友人に、「なんなら全部やめちゃえば」と伝えた。 12時15分 授業が終了し、給食の準備が始まる 12時15分 - 35分 加害者が被害者を6年生の教室から北に約50メートル離れた学習ルームに「ちょっとおいで」と言って呼び出した。 そこでカーテンを閉めて椅子に座らせ、手で目を隠し背後から首と左手を切りつけた。 被害者は椅子から立ち上がり、両手を振って抵抗したが、加害者は何度も切りつけたという。 手の甲の傷もこの際、付いたとみられる。 被害者が倒れた後、すぐには現場を離れず、教室に戻るまでの約15分間、手に付いた返り血をハンカチでふいたほか、被害者の顔をのぞき込んだり、体に触ったりして、動かないことを確認したという。 12時35分 「いただきます」の唱和時に、担任が加害者と被害者が教室にいないことに気づく。 その直後、廊下から走る音が聞こえ、加害者が返り血を浴びた服のまま入口にたたずんでいた。 黙りこくる加害者の手にはカッターナイフと血で濡れたハンカチが握られていて、ズボンの裾は水に漬かったように濃さを増していた。 担任はすぐに加害者からカッターナイフを取り上げた。 当初、担任は加害者が怪我を負っているのだと思い、手を広げさせたが怪我はなかった。 担任が強い調子で加害者に事情を尋ねると、「私の血じゃない。 私じゃない」と呟いた(「私じゃない... 私じゃない!私じゃない!」と叫んだという証言もある )。 加害者は学習ルームの方向を指さした。 担任が現場に駆け付けると、被害者が倒れているのを視認した。 担任は「救急車!救急車!救急車!」と叫んで、被害者を抱きかかえながら止血を試みる。 叫び声を聞いた3年教室の教師が職員室へ駆け込み、教頭に報告した。 教頭は状況を理解できず、自ら現場に赴いた(教頭は現場へ向かう途中で加害者とすれ違っている)。 担任到着時には被害者はまだ息をしていた。 学習ルームには血が飛び散り、壁にも血が点々と付着していた。 入口付近には折れたカッターナイフの刃が落ちていた。 また、被害者の眼鏡が机の上に置かれていた。 12時43分 現場の惨状を目の当たりにした教頭は119番通報した。 教頭は動転のあまり市消防局指令課に状況をうまく説明できなかったが、学校から約4km離れた派出所から救急車が出動した。 ほぼ同時に、被害者の父親にも連絡を入れた。 被害者の父親はタクシーで学校に向かった。 12時50分 救急車が到着しないことに焦りを覚えた教頭が再び119番通報した。 教師らは各教室の扉とカーテンを閉め、凄惨な光景を遮断した。 12時51分 救急車が到着し、救急隊員が関係者から事情を聴いて回る。 救急隊員は病院への搬送を断念し、に連絡した。 12時59分 被害者の父親が学校に到着した。 時間不明 加害者は教師らが学習ルームに集まっている間、廊下にたたずんでいた。 興奮状態のまま2階に下りようとしていた加害者を見つけた教師が彼女を落ち着かせようと階段に座らせたが、彼女が加害者だとは気づかなかった。 うつむいた加害者は泣きそうな顔つきで声を震わせて、独り言のように「救急車を呼んで。 さらに「私、どうなっちゃうの... 」と呟き、教師は彼女をなだめた。 教師は加害者を1階の保健室に連れていき、手を洗わせ、洋服を着替えさせた。 足に付いた血は正面玄関わきの洗い場で洗い落とした。 「だれか詳しいことを知っている人はいませんか」と救急隊員が尋ねたところ、一人の教師が加害者を連れてきた。 隊員が被害者がなぜ怪我をしているのか尋ねると、「私がカッターで切りました」とあっさりと答えた。 警察は40分かけて校長室で事情聴取した。 加害者は「土曜日に殺そうと準備して、(代休の)月曜日に殺そうとしたけれど、バレると思って今日にした」、「死ぬまで待って、バレないように教室に戻った」、「千枚通しで刺すか、首を絞めるか、迷ったけれど、もっと確実なカッターナイフにした」、「左手で、目隠しをして切った」と話した。 16時ごろ 6年生を除く全児童が集団下校した。 6年生は14時から、5か所に分かれて事情聴取を受けていた。 一人あたり15分程度だった。 18時ごろに調書が出来上がり、保護者の入場と6年生児童の下校が認められた。 出張先から戻った校長が保護者に事態を説明した。 事件発生数時間後 加害者が佐世保警察署に車で移動した。 19時ごろまで任意の事情聴取を受け、給食を食べていなかった彼女は軽食を食べた。 20時30分 警察が殺人事件だと発表。 21時ごろ 被害者の父親が記者会見を開いた。 22時30分 加害者は警察署内の女性職員休憩室で就寝。 6月2日 [ ] 8時ごろ 加害者が起床、弁当を食べてから任意の事情聴取が再開された。 午後 佐世保児童相談所の中村正則所長と長崎県教育委員会の立石曉教育長が記者会見を開いた。 「面談の印象でいうと、ごく普通の女の子。 我々と会話もでき、ごく普通の家庭に育っている。 このギャップに驚いています」と中村所長が切り出し、「事件当日は緊張と不安が残っていました。 両手で顔を覆ったり、泣きながら話したり」と話した。 さらに「本人は問題なく育っている。 成績もよく、頑張り屋だった」と両親からの聴取も踏まえて話した。 しかし、少女の印象について「思ったことを、うまく表現できていない子。 困ってもはっきり『ノー』ともいえないような感じです」とも付け加えた。 インターネット上の掲示板で嫌なことを書き込まれて、書き込みをやめてほしいというやり取りが二人の間にあったことも明かされた。 佐世保児童相談所は加害者を家庭裁判所に送致した。 これを受けて、長崎家庭裁判所佐世保支部は即日、観護措置処分を決定、その日のうちに佐世保警察署からに移送された。 また、長崎県弁護士会はに迫光夫・川添志・山元昭則の三人の弁護士を選定した。 事件当日に佐世保警察署で山元弁護士が、6月3日に長崎少年鑑別所で川添・迫両弁護士がそれぞれ接見した。 6月3日 [ ] 長崎少年鑑別所で加害者と弁護士が接見した。 加害者は水色のブラウスに、えんじ色のジャージ姿だった。 加害者は少年鑑別所で一人部屋を与えられ、22時ごろ就寝する生活を送っていた。 夕食にはご飯と煮物を、朝食にはご飯、みそ汁と少しのおかずが提供され、彼女はほとんど残すことなく食べた。 自由時間にはが差し入れた「」を読んだりした。 接見では、「家族や友だちで、だれか相談できる人はいなかったの」という弁護士の問いに対し、「ひとりで悩んで、ひとりで考えていた」と答えた。 「あなたは自分のことをどう思うの」という問いには、「自分は中間」と、はにかみながら答えた。 どのように中間なのか掘り下げると、「いろいろな意味で」と答えた。 加害者は事件について弁護士に、「なんでやったのかな。 よく考えて行動すればこんなことにならなかった」と答えた。 その一方で、警察による事情聴取では「数日前から殺害方法を考えていた」とも話していた。 「あなた自身はこれからどういう人生を送りたいの」という問いには、「... 普通に暮らせればいいんだけれど」と答えた。 迫弁護士は加害者の印象について、「非常に幼いな、と。 小学6年生なのに、見たところ小学4年生ぐらいの印象を受けた。 この子があんなことを、と非常に意外な感じをもった」とコメント。 川添弁護士も「幼いという印象は、確かに私にもあった。 背もそれほど高くないし、表情も幼い。 ただ、付添人の選任届にサインしてもらった字は、しっかりした字を書いていたので、その意味では表情ほど幼くないのかもしれない」とコメントした。 加害者は自分の両親について、「お父さんとお母さんに迷惑をかけた。 謝りたい」と話した。 弁護士はは不要で、全く正常に見えたとコメントした。 6月4日 [ ] 16時ごろ 加害者は鑑別所で両親と面会した。 「元気にしているか」と父親が尋ねると、加害者は小さくうなずいた。 彼女は終始うつむいていた。 母親は涙を流していた。 父親が「毎晩手を合わせて拝むんだよ」と言い聞かせ、面会は終了した。 6月7日 [ ] 19時ごろ 佐世保市役所で被害者の父親の代理人が記者会見を開いた。 遺族の手記を発表した。 6月8日 [ ] 長崎家庭裁判所佐世保支部が少年審判を開くことを決定。 6月9日 [ ] 付添人が記者会見を開き、加害者への精神鑑定を行う意向を示した。 また、加害者が運営していたウェブサイトやミニバスケットボール部退部の経緯について説明した。 6月14日 [ ] 長崎少年鑑別所で出張審判が開かれた。 審判は15時ごろに開廷した。 加害者は、すみれ色のブラウスにえんじ色のジャージ姿だった。 この日は精神鑑定の実施を決めて閉廷した。 家庭裁判所が決めた鑑定留置期間は8月14日までの61日間であった。 6月23日 [ ] 付添人が精神鑑定中の加害者の様子などについて発表した。 加害者の両親が遺族へあてた手紙を読み聞かせた際、加害者は大粒の涙を流し「どのように謝っていいのか」と話していたことを明らかにした。 7月20日 [ ] 学校でお別れ会が開かれた。 8月24日 [ ] 少年審判の意見陳述が行われた。 また、鑑定留置期間が1か月延長され、9月14日までとなった。 9月15日 [ ] 10時30分 長崎家庭裁判所佐世保支部201号法廷で最後の少年審判が開かれた。 出廷したのは、長崎家庭裁判所佐世保支部の裁判長、上田・進藤両判事補、5人、少年鑑別所職員2人、付添人3人、加害者の両親。 加害者は白地にチェック柄のシャツにジーンズをはいていた。 加害者を児童自立支援施設送致とし、2004年9月15日から向こう2年間の強制的措置を取れる保護処分を決定した。 9月16日 [ ] 9時50分 両親と付添人3人が長崎少年鑑別所を訪れて加害者と面会した。 午後 加害者と4人の職員を乗せた車が午後に同鑑別所を出発した。 からANA668便 に搭乗、18時にに到着した。 移送時、一般搭乗開始前に機体最後尾から搭乗した。 羽田空港からは陸路で国立きぬ川学院へ移動し、21時18分に到着した。 2005年3月 [ ] 加害者が小学校を卒業 2008年 [ ] 加害者が児童自立支援施設内の中学校を卒業し、退所、社会復帰した。 政治家による発言 [ ] 2004年、当時のが、本事件について「元気な女性が多くなってきたということですかな」などの発言を行った。 この発言を受けて、当時のが、にで行った講演で、「弁護するわけではないが、私の若い頃は、放火は女性の犯罪。 もちろん男もあるが、どちらかというと女の犯罪。 カッターナイフで切るのは原則的に大人の男の犯罪」と述べ 、共に不適切な発言として批判された。 、井上は発言を撤回した。 その後 [ ] 国立きぬ川学院送致後の女児は、問題を起こすことも反抗的態度を見せることもなかったという。 2005年(平成17年)3月に、女児は施設内の分校 で卒業式を迎えた(は大久保小学校のままであったから、大久保小学校卒業の扱い)。 さくら市立氏家中学校うの花分教室の紺色のブレザーに、プリーツスカートという服装であった。 加害者の親や職員らが十数人参列した。 当初は大久保小学校の校長が国立きぬ川学院へ赴いて卒業証書を渡す予定であったが、結局佐世保児童相談所の職員が手渡すことになった。 入所初期の頃は女児に集団生活をさせず、専用棟で矯正教育や・による各種心理検査が行われるのみであったが、徐々に集団生活に移行していった。 2005年4月22日には、女児にとって初の団体行事となる「登山遠足」に参加した。 紺色のジャージズボンに白のトレーナーを着て、赤いリュックサックを背負っていた。 彼女の髪の毛は以前より少し伸びていた。 登山中に「大丈夫か」と問われ、「はい、大丈夫です。 頑張ります」と答えた。 5月13日には施設の恒例行事である園遊会に参加した。 国立きぬ川学院では、少年審判結審前から加害者が入所することが明らかであったので、他の入所者の暮らす建物とは別に専用棟の建設を始め、2004年末に完成した。 完成前は自立寮と呼ばれる建物で暮らしていた。 施設を訪れた両親との面会では、女児は冷静な態度を見せたという。 世間話などはするものの、両親が帰った後は何事もなかったかのように過ごし、ホームシックにはならなかったという。 一方で、面会中に姉から優しい言葉をかけられたとき、女児は笑顔を見せたという。 女児は春、施設内の中学校を卒業して、児童自立支援施設を退所した。 大久保小学校では、事件のあった6月1日を「命を見つめる日」と定め、毎年、事件を教訓に道徳教育をしている。 2019年3月12日閲覧。 事件当時、被害女児の父親は毎日新聞佐世保支局長であった。 事件直後の記者としての職業意識と愛娘を亡くした父親との立場で揺れ、連日の事件報道について「(娘である被害者の)名前や写真が出ると、事件を突き付けられるよう」 「勝手なことなのですが、『もう名前や写真を出さなくてもニュースや記事として成り立つのでは』 と思ってしまいます」とコメントした。 また被害女児の父親の直属の部下であった川名壮志(毎日新聞記者)は、被害女児の兄の言葉を引用して『 謝るなら、いつでもおいで 佐世保小六女児同級生殺害事件』(新潮文庫・集英社)というタイトルの書籍を著している。 事件の関係者 [ ] 加害者 [ ] 加害者は大久保小学校でも数人しかいないバス通学生であった。 「弓有」、「うど越」などのバス停を通り、「大久保小学校上」バス停で下車、登下校していた。 弓張岳の中腹にある集落で祖母・両親・姉の5人家族で、父親は婿養子であった。 父親はかつてギフトセンターで働いていたが、加害者が2歳になったころにを起こし、リハビリをしながらやおしぼりの配達をしていた。 父親に代わって母方の祖母が加害者が幼かったころの加害者の面倒を見ていた。 は著書「追跡! 『佐世保小六女児同級生殺害事件』」で加害者は父親に虐待されていたと記している が、父親本人は否定しており、毎日新聞記者による取材を通しても虐待情報は全くなかった。 事件当時、姉は高校生であったが事件を契機に中退し、母親と祖母と一緒に故郷を離れ、(旧大検)に向けて勉強していた。 加害者の成績は中の上で、への進学を目指していたという。 加害者はまじめで、遅刻はなく、授業にも積極的であった。 友人を家に呼んだり、また友人宅を訪問して『』や『』などのゲームで遊ぶこともあった。 家には2台のパソコンがあり、そのうち1台が加害者専用のものだった。 彼女は両親の寝室の隣に6畳の畳敷きの自分の部屋を持っていて、木目調の洋服ダンスと机が置かれていて、机にはカバンがかけられていた。 ベッドにはハローキティの人形が置かれていた。 『』、『』、『』などのホラー小説を好んで読んでいた 一方、『』、『』などのアニメも好きであった。 学校のクラブ活動では得意を活かしてコンピューター研究部に所属し、それに加えて地域のクラブにも入っていた。 しかし、小学5年の3学期にミニバスケットボールクラブは辞めさせられた。 彼女は跳び箱ができなかったが、何度も何度も練習するなど、最後まで頑張る姿がみられた。 彼女は間違っていると思うと許せないタイプであった。 例えば、友だちから悪ふざけをされたりすると、追いかけたり、倒したり、蹴ったりすることもあった。 友達とよく遊ぶ反面、一人で物思いにふけることも多かった。 教師の側に寄ってきて「何か、することない 」という感じで、手伝いを申し入れることもあった。 父親は彼女のことを「病気で倒れた時、勇気づけられた。 この子がいたから立ち直ったと思っている。 とてもかわいい子だ 」と評している。 彼女の家族は彼女を、「一人で過ごすことを好む」と評している。 小学4年生のころの文集には次のような作文を載せている。 10年ごの自分は20才になっている。 成人式があるんだなぁ。 着物をきてみたいけど...。 成人式の話って、ニュースでみていても、長そうなので着物でたえられるのかなあと、しんぱいです。 とにかくりっぱな成人として、一人の女せいとして、はずかしくないようにしたいなあと思います。 彼女の評判は良かったが、小学5年生の終わりごろから精神的に不安定にってきた。 友人を殴ったり、頭を壁に打ち付けるなどの行動がみられるようになり 、一人で席にいることが多くなり、事件の2か月前に友人宅を訪れたときは暗い様子だったという。 2020年6月26日現在、彼女は27歳である。 発達障害 [ ] 長崎家庭裁判所の審判決定要旨「加害女児の人格的特性」では加害者の「対人的なことに注意が向きづらい特性」などが挙げられたが、などの診断を下すことは慎重に回避された。 初回の鑑定では福岡県の精神科病院の院長が加害者を鑑定した。 その後、彼女は国立きぬ川学院入所後にと診断された。 2004年暮れの面接では、精神科医らに「この花分かる」と言われて菜の花を見せられたが、「家の近くで見たかもしれませんが、思い出せません」と回答した。 次にヒマワリを見せられたが、こちらも「見たことがあるけど分かりません」と答えた。 他にモンシロチョウやカブトムシも見せられたが答えることはできなかった。 彼女を鑑定した精神科医らは「絵や字を見て知的に問題なく、むしろある部分で非常に発達した能力があると思ったが、問診の結果、年齢相応の基礎知識が欠落していると分かった」と話している。 一方で、昭和大学医学部精神医学講座主任教授・医師は、加害女児に下された発達障害の診断は誤診だと指摘している。 加害女児には被害者を含めた同年代の友人がおり、交換日記やウェブチャットなどで仲間とも交流していたことから、岩波医師は「アスペルガー症候群の『対人関係の障害』の診断基準を満たす特徴は見いだせない」としている。 「」も参照 発達障害の特性が非行に直結するとは断言できないが、教授のはアスペルガー障害が犯罪に直結するというような理解は誤りだと前置きした上で、いくつかの動機が理解しがたい「突き抜けた」犯罪で、その障害特性との関連が注目されるとしている。 、 、 、そして の犯人もアスペルガー症候群ないしはを持っていたとされる。 被害者 [ ] 被害者は毎日新聞佐世保支局長の娘で、市中心部に近い支局の3階の支局長住宅で父親と次男の3人で暮らしていた。 長男は徳島県の大学へ進学していて、母親は事件の3年前に亡くなっている。 被害者は小学4年生のころ長崎から佐世保へ引っ越してきた。 被害者は学校では映画研究クラブに所属しており、それに加えて加害者と同じ大久保小学校のミニバスケットボールクラブにも入っていた。 父親は加害者と数回接している。 1度目は小学4年生の時に総合学習で地元佐世保を調べるということで、父親が娘と加害者を含めた数人を車に乗せて弓張岳とを回ったときで、はきはきした猫が好きな女の子という印象であったという。 加害者は笑顔で、娘もうれしそうであったという。 3度目は2004年ごろ、自宅に加害者がやってきて娘とパソコンをしていたという。 その時、加害者は椅子に座らず膝立ちで娘の横にいたという。 ほかにもよく食卓で加害者の明るい話題が上がっていたという。 加害者と被害者はパソコンという共通の趣味を持っていて、被害者はパソコンが得意であった加害者を師匠のように見ていた。 事件当時中学3年生であった兄は、5時間目の授業が急に自習になり、担任から突然呼び出されて事件を伝えるの記事のコピーを手渡されたという。 しかし、コピーを渡されたときに確信はないものの、加害者のことが思い浮かんだという。 事件前、妹からトラブルを聞いていたからだ。 兄は1、2回加害者と会ったことがあるという。 自宅に妹の友人がよく遊びに来ていて、その中に加害者もいたという。 話も合うし、からみやすい少女でゲームの話をしたり、『』を一緒に遊んだという。 事件の2日前の運動会でも、ビデオカメラを回していた兄に加害者がちょっかいをかけたという。 ニコニコしながらやってきて、ポーンと頭をはたいて逃げていったというが、被害者の他のクラスメートもよく同じようにちょっかいをかけてきたという。 また、兄は「もし彼女が謝罪に来るのなら、会うのが怖いという感情は僕にはない。 きちんと会うべきだと思う。 僕も相手も、対等な関係で。 自分のしたことを全く理解できていない当時に謝られても、どう思えばいいか分からないけれど、自分がやったことが分かっているはずの今、きちんと謝ってほしい。 その方が、スッキリする。 逆に、施設から出た後に、会わせられる状態にないというのなら、それは国が再教育に失敗したんだってぐらいに僕は思っています」とコメントしている。 類似事件 [ ]• — アメリカで発生した事件。 12歳の少女2人が同級生の少女を包丁で刺して負傷させた。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 2019年3月31日閲覧。 2019年3月31日閲覧。 文部科学省. 2004年6月4日. 2019年3月12日閲覧。 川名壮志 2014 『謝るなら、いつでもおいで』東京:集英社• 川名壮志 2014 『謝るなら、いつでもおいで』東京:集英社• 草薙・51P• 西日本新聞. 2004年6月8日. の2008年6月28日時点におけるアーカイブ。 草薙・76P• 西日本新聞. 2014年4月29日. の2014年4月28日時点におけるアーカイブ。 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<小6同級生殺害>事件前後の状況判明 教師たちもパニック(毎日新聞) エンセン

佐世保 小 六 女児 同級生 殺害 事件

この事件は、7年前の神戸での小学生連続殺傷事件、昨年の長崎での幼児殺害事件と続く、子供が子供を殺す事件の流れの中で起きたものだが、初めて少女が起こした殺人事件だったが故に、先の2件以上に社会へ大きな衝撃を与えた。 事件後、事件の直接のきっかけとなったインターネットへの小学生の関わりや、事件の一つのヒントとされた映画の子供の精神へ与える影響が問題とされたり、事件を起こした少女の事件前のさまざまなシグナルを見逃してしまった学校教育のありかたなどが問題とされたが、どれも事件の本質に迫ったものではなく、事件のきっかけや周辺の出来事を問題にしたにすぎず、先の2件と同じく本事件の真実も深い闇の中にあるようである。 「なぜ仲良しの少女が一方を殺さねばならなかったのか?」「11才の少女がそれほど明確な殺意を持ったのはなぜか?」。 この2つの根本的な疑問に、事件後の様々な検証作業が答えていないために、加害者・被害者双方の親だけではなく同年代の子供をもつ親や教師たちに、またしても「子供がわからない」という深い動揺を生み出しているのである。 なぜ子供が子供を殺すのか。 実はこの問いに対する答えは、先の2件の事件でもそうであったのだが、事件の当初から提出されていたのである。 事件の本質は親子関係にある。 事件直後の新聞報道やテレビでの少年事件に関わってきた人々の証言が明らかにしたことは、端的に言えば、親が子供を「虐待」した結果がこのような事件だということである。 「虐待」といえば物理的な暴力や性的虐待しか想起しないのが世間の常識であるが、「きびしいしつけ」もまた虐待であることを多くの少年事件関係者が示唆していた。 つまり加害少年・少女が殺害したいほどの憎しみを持ったのは、実際に殺された子供ではなく、本当は自分の親だということを関係者の証言は示唆していた。 だがこの「真実」がほのめかされたとき、突然真実追究の前に大きな壁が立ちふさがり、真実は闇の中に押しやられようとしている。 おそらくは本事件も、少女の精神的未発達でかたがつけられ、その「未発達」を生み出した原因にはまったく触れられずに終わる可能性がある。 この小論は、事件を起こした11才の少女の心の背景に迫るとともに、なぜ真実追求がゆがめられてしまうのかを考察したものである。 しかし、教師の目には「活発な反面、暗いところがある」と映ったようだ 毎日6月3日。 問題はこの「暗さ」の背景である。 同級生は次のように証言する。 「あそこの家は厳しかった」「女児は『お父さんが、決まり事はきちんと守れってうるさい』と打ち明けた」 毎日6月5日 そうである。 つまり、親の厳しいしつけがA子の暗さの原因なのである。 「きちんとあいさつを返す」は、親に「きまり事としてのあいさつ」を厳しくしつけられた結果であり、「授業参観などでも活発に手をあげる」は、その親の期待に添うように活発な姿を親に見せている結果なのだ。 だが、A子には「いいこ」を演じることは苦痛でしかない。 それゆえの暗さなのであろう。 新聞に報道された次のような事実も、「きびしいしつけ」を予測させる。 家族は休日になると2キロほど離れたスーパーに車で両親、姉の4人で日用品を買出しに出かけた 毎日6月5日。 何気ない「仲の良い」家族に見える風景ではあるが、あの神戸の酒鬼薔薇の家庭も、休日になると家族そろって庭で卓球をする「仲の良い」家族であった事実と重ねてみると、その「仲の良さ」がつくられたものであり、「親子は一緒にいなければいけない」という「きまり」に縛られた「擬似家族」でしかないように思えるのである。 子供は小学校も上級になると大人から離れて行動しようという傾向を強める。 たまには良いかもしれないが、いつもいつも休日は親子で一緒にいることを「きまり」として押しつけられたのでは息が詰まるであろう。 勉強ができてあいさつもきちんとできる良い子に育ってほしいという親の期待も普通のことだが、それを「あたりまえのこと」として押し付けてくると、自我が目覚め始めた子供には、自分という存在を否定されているように感じるものである。 しかし親なしでは生きていけない子供は、「親の期待」や「世間の決まり」を押しつけてくる親に対しては、その不満を自分の心の中に溜め込むしかないのである。 A子の毎日も息が詰まるようなものであったに違いない。 だからこそ彼女は4年生の文集で自分の性格を「裏と表があるらしい」と書いたのであり、5年の2月に自分のホームページに自作の詩を紹介し、「苦汁、絶望、苦しみが私を支配する」「最後は起きあがるものいいと思う」と書いた 毎日6月5日 のであろう。 それは彼女が好きなことに没頭できたからであり、そこで「心の許せる」友を得たからである。 今回の事件の直接の背景は、5年生の冬に、彼女が大好きだったバスケ部をやめさせられたことにあるようである。 A子と殺された御手洗怜実さんはとても仲良しだったという。 御手洗怜美さんは4年のときに転入してきたのだが、絵のうまい2人はすぐに友達になったという。 2人はバスケ部に所属していたのだが、「怜美さんがバスケ部に入ると、補導された児童も後を追うように入部した」 毎日6月2日 そうで、A子の入部の動機は仲の良い友と一緒にいたいということだったようである。 しかし活動しているうちにこれが好きになり自分にとってかけがえのないものになっていったに違いない。 怜美さんが手術と家事の手伝いでバスケ部をやめたあとも続け、レギュラー直前にまでいったのはそういうことだったのだろう。 しかし転機は訪れた。 5年生の2月、つまり今年2月にA子はバスケ部をやめた。 周りには「お母さんにやめさせられた」と話したという 毎日6月4日。 理由は勉強との両立ができていないから。 その後の週刊誌の報道によると、どうやらそれは中学校受験の準備がからんでいたようである。 それ以後「やさしくてみんなに好かれていた」A子の様子が変わる。 授業中、教師から顔を背けて絵を描いたり、ほおづえをついて居眠りをする。 放課後、気の弱い男子2、3人に「ばか」と毒づいた。 クラスメートはA子を「怖い」と感じ遠ざけたという 毎日6月4日。 大好きなことを親のわがままで奪われたことは、彼女にとって自分を否定されたに等しい屈辱であったに違いない。 しかし親には逆らえない。 この心の葛藤が「いいこ」を演じつづけることをやめるという形で噴出していたのである。 しかしそれでもA子の心は「切れ」はしなかった。 怜美さんという「自分を理解してくれる友」がいたからである。 荒れているA子に対して怜美さんだけは、「バスケやめたんだね」と心配したという 毎日6月4日。 二人はバスケ部をやめてからも仲の良い友だったようだ。 一緒にホームページを作ったり掲示板で書きこみをしたり、チャットで会話を楽しんだり。 親に自分を否定されてしまったことに苦しむA子にとっては、「唯一の自分を理解してくれる親友」であったに違いない。 今回の事件の直接のきっかけはA子が語っているように、「掲示板で悪口を書かれたこと」である。 5月下旬に彼女と怜美さんを含む同級生たちは学校内でおぶさるなどしてふざけあっていた。 その時にA子は怜美さんや同級生に「重たい」と言われた。 以前から自分の体重を気にしてホームページにも「減量するぞ!!」と書いていたA子は、自分が「太っているといわれた」と思い、怜美さんたちに文句をいったが期待した反応はなく、さらに掲示板でも文句を言ったが、それにたいして怜美さんから「ぶりっこ」と書かれた 毎日6月4日。 これが事件の直接のきっかけだったのである。 どういう言葉のやりとりの中で「ぶりっこ」という言葉が投げつけられたのかはわからないが、その時の気持ちを「この世からいなくなれと思った」とA子は供述しているそうだ 毎日6月4日。 A子はこの言葉に怒り、怜美さんのホームページのキャラクター人形を消したり、ホームページの内容を書き換えたりし、その「犯人」が誰かを察知した怜美さんとの間に激しい口論があったようである。 「ぶりっこ」。 なにげない一言ではあるが、A子にとっては自分の本質を白日の下に晒されたも同然な言葉である。 なぜなら彼女は親の過剰な期待に応えるために「いいこぶりっこ」をしてきたのであるから。 そしてそれゆえに親との間に激しい葛藤があり、それに苦しんでいたのだから。 自分の本質を示す「ぶりっこ」という言葉、そして「ぶりっこ」である自分自身をもっとも嫌っていたA子。 この言葉を衆人監視の掲示板に書かれたことは彼女を全面否定したに等しい。 このことにより、彼女の傷ついた心は破裂してしまったのである。 「この世からいなくなれ」は、明確な殺意である。 以後彼女は、この殺意が本当はだれにむけられたものかもわからないまま、自分を否定する憎き人間をこの世から抹殺する方法を模索し、そしてついに6月1日午後0時20分ごろ、それを実行してしまったのである。 怜美さんがA子に「ぶりっこ」と言う言葉を投げかけた結果、怜美さんはA子の目には、A子の存在を否定する憎き魔物に映ったに過ぎなかった。 すでにA子の心の中に「親を殺したい」という、自己を否定する者を殺そうとする殺意が芽生えていたが、その殺意の対象すら意識できないなかでA子は苦しんでいた。 そこに「親友の裏切り」によって目の前に、自己の否定者が姿を現したのである。 A子は否定者への殺意に突き動かされ、その魔物を殺した。 しかし目の前に首から血を噴き出して倒れている怜美さんを見たときに、A子の心には大きな動揺が起きた。 目の前に倒れている否定者の死体は、「仮面」が外れてみれば親友のそれだったからである。 彼女は激しく動揺した。 だから死体を前にして、そこに15分も留まったのである。 だからこそ血だらけのまま教室に戻って担任に発見されたとき、A子は「激しく動揺した様子であった」 毎日6月3日 のであり、警察に補導されたあとも「ごめんね、ごめんね」と泣きながら話していた 毎日6月3日 のである。 そして事件後冷静になってから彼女は、事件について問いただした佐世保児童相談所長に事件の背景について話すときに、両手で頭を抱え涙を流していた 日経6月3日 のだし、長崎少年鑑別所で付き添い人の弁護士と初めて面会した時に、「何でやったのかな」とうつむいて話したのだ 毎日6月4日。 自分が起こした惨劇の現場を目にした時、彼女は自分が殺した相手が、彼女にとってかけがえのない親友であったことに初めて気づいたのではないだろうか。 彼女にとって「親友に裏切られ」てからの時間は悪夢の中だったに違いない。 A子が殺したかったのは両親である。 そのことに彼女は事件の前も後も気づいてはいないだろう。 しかし心の奥底の殺意は違った形で外に現れ出ていた。 A子が事件の前の2月に自分のホームページに載せたという「許せない」という自作の詩が、毎日新聞の6月7日朝刊に掲載されている。 『詩@許せない 皆は親なんていなかったら良かった・・・・・なんて言うけど、不思議だ。 私なんて親が死んでもう、親なんて・・・・・いないのに。 とにかくずるい。 恨めしい。 親なんていらないなんて・・・・・。 親を亡くした私の気持ちわかる? 親がいなくなったらこんなに・・・・・。 さみしい 親のいる人が羨ましい 家事とかの問題では無い。 心の事だ。 楽しかった時には戻れない。 親に怒られてもそれはそれで良かった。 あなたの親がいなくなったらわかることでしょう。 親に限った事ではないけれど、身内の人が死んでも悲しいでしょう? なのに皆はいなくなって欲しいといった。 その皆の親がいるのがずるい。 』 この詩は「親を疎ましく思う」皆を非難する形をとっている。 しかし「皆」は彼女自身であり、皆を非難する私も彼女自身なのである。 心のうちにふつふつと沸いてくる親を疎ましいと思う気持ち、極端に言えば「この世からいなくなってほしい」という気持ち、これを認識すらできない複雑な心の中の葛藤が無意識のうちに描かれているのだろう。 2月といえばA子がバスケ部をやめさせられた時期である。 彼女の明確な殺意は、この時期に生まれたものであろう。 この詩はA子の心の奥底の殺意を示すだけではなく、現実の作用としては、殺された怜美さんとA子との繋がりをより深め、怜美さんにとってもA子を親友と思う心を生み出した可能性がある。 それは、この詩への2件のアクセスの1つが怜美さんと見られ、「うぅ・・・その詩と共感してんなぁ〜共通点ありありだもぉん・・・」と書いているからである 毎日6月7日。 母を亡くした怜美さんにとっても、A子は自分の気持ちをわかってくれる数少ない友になったのであろう。 しかし現実は残酷である。 ちょっとした言葉のやり取りの行き違いから、A子は親友を死へと追いやってしまった。 この現実に彼女が気がついた時、なぜ自分が親友を殺したのか理解できない悲しみとともに、自分が起こした惨劇によって両親の期待をも決定的に裏切ってしまったことに気がついたはずである。 彼女の心は慄いたに違いない。 彼女は「頼れる」ものを全て失ったのであるから。 A子は弁護士との最初の面会で「被害者と自分の両親に謝りたい」と話した 日経6月3日 し、事件後に初めて両親と面会した時に、両親の姿を見ると驚いてこわばったような表情になり、横を向いたり目を伏せたりして、ほとんど自分からは何も話さなかった 日経6月5日 そうである。 A子の心は親の期待を裏切ってしまったことと、親友を殺してしまったことに慄いているのである。 そして自分がそうした行動に出た理由もわからないまま。 このままではA子にとっては、悪夢からさめた現実は地獄となる。 事件直後の新聞の報道はA子をめぐる人間模様をかなり浮き彫りにしていたし、その歪みをも正確に掴み取る方向に行っていたと思う。 しかし、事件発生以来A子にまつわる人間関係を詳細にレポートし、事件の核心は親子関係にあることに肉薄していた毎日新聞は、6月7日に「つかめぬ動機深まる疑問」と題した記事を掲載し、加害児童が殺意を持つまでの経緯が明らかになってきたにもかかわらず、その動機(「ぶりっこ」と言われたこと)では、人を殺害するにたる動機とは思えないと言う捜査幹部らの発言を引用する。 曰く、「刺激的な表現じゃない」「そんなことぐらいで」と捜査陣は頭をひねっているという。 親による虐待に由来する親への無意識の殺意という問題から目をそらしては、この事件の真相が見えないのはあたりまえである。 そしていくらA子を問い詰めても、彼女自身が事件の全貌を意識できないのだからそれは無理であろう。 毎日新聞は、この7日の記事以後、ネットの問題など瑣末な問題に話題を移し、文部科学省など役所の対応に紙面を割き、親子関係の歪みを実証することをやめてしまった。 ではなぜこの方向を徹底して調査し、事件の真実を社会的に明らかにしないのか。 いやこれはまだ少年審判の過程でも可能である。 本人や家族や周囲の人々への徹底したカウンセリングを行い、A子を巡る人間関係、とくに親子関係に焦点を当てることが今すぐ必要である。 必要なのはA子の精神鑑定などではないのだ。 なぜこれをしないのか?。 しかもその「虐待」は世間の常識をはるかに超えて、「しつけ」や「愛情」の名による子供の魂の圧殺であり、さらにそれは家庭の問題であるだけではなく、学校教育という公共の場でもなされていることを気づかせるからである。 実は人間が起こす犯罪の多くの背景には、その人の育ってきた人間関係、とくに親子関係や学校での師弟関係に問題があることは多くの実例が証明しており、それは年長者による「しつけ」や「愛情」の名の下での、年少者の魂の圧殺なのである。 このことに最も早く気がついたのは、精神分析学・心理学の始祖の一人であるフロイトであった。 彼は1896年に出版された「ヒステリー病因論」という論文において、自分があつかった18人のヒステリー症例の全てにおいて親による性的暴行が病気の背景にあることを明らかにしている。 だがこの論文に対する世間の反応は敵対的なものであり、フロイトは自己防衛のため、親の虐待が様々な精神疾患の背景にあり、それがさまざまな犯罪を引き起こすという自己の画期的な発見を撤回し、様々な精神疾患はその人の心の内に在る社会的には認知されない性的衝動がその原因であると言う新説に逃げこみ、これが今日の心理学・精神分析学の公理となっているのである。 この精神分析学・心理学の公理が、世間との葛藤の中で発見者自身の手で改竄されたという事実をはじめて指摘したのは、スイスの精神分析家であるアリス・ミラーである。 彼女は様々な精神疾患の背後には親を含む年長者による年少者への虐待があり、それが様々な犯罪を生んでいること。 そしてこれに19世紀末に早くも気づいたフロイトはこの事実を認めようとしない世間に圧殺されかかり、自らの説を改竄してしまったこと。 さらにはこのような虐待は家庭だけではなく、学校をはじめとした社会組織全体に巣くっており、これは階級社会になって以後の人類社会ではあたりまえのことで、虐待によって「強い者には従がう」という精神的屈従性向を人々に魂の中に植え付ける「闇の教育」であることを次々に明らかにした(文末の参考文献を参照)。 しかしこのアリス・ミラーへの世間の反応も、フロイトの時と同じであった。 心理学会や精神分析学会からの執拗な攻撃を受けた彼女は、ついに精神分析家であることもやめてしまい、ペンをとることもやめてしまった。 今回の子供が子供を殺すという事件の背後にも、親による「しつけ」という名の虐待があったことは明白である。 そしてこれは学校における規則による生徒いじめや、企業などの職場ですら存在する「いじめ」という名の虐待と同質であることも気づかされる。 つまり年長者による年少者に対する虐待(もしくは強い者による弱い者に対する虐待)は現に社会の中に広く存在し、これは階級社会を維持するための装置であり、ミラーのいう「闇の教育」だということなのだ。 この事実を、階級社会の悲劇を認めようとしない世間は直視したくないのである。 だからこそ心理学・精神分析学の手を借りて、犯罪を起こした子供本人の問題に矮小化し、彼や彼女たちを少年院に隔離し、専門家による心理療法を受けさせることもなく、ただひたすら「社会の規則」に適応させるための「贖罪教育」で犯罪者は矯正されたと強弁するのである。 事件を起こした少年・少女たちの叫びは、社会を家庭を、そこにおける人間関係のありかたを替えることを要求しているのに。 アリス・ミラー著。 (ミラーの最初の著書。 ジッタ・セレニー著。 ジッタ・セレニー著。 (前著の続編。 40才になったメアリー・ベルに付き添い、事件の背景となった親の虐待・事件の真相・裁判の過程・その後の「矯正」教育の実態などをあきらかにし、少年裁判のありかたに疑問をなげかけた問題の書).

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佐世保事件の加害者・辻菜摘(ネバダたん)のその後と現在!

佐世保 小 六 女児 同級生 殺害 事件

ネバダたんこと辻菜摘は学校ではどちらかというと大人しい印象だったようです。 ミニバスケのチーム内では楽しくプレーはしていたものの、主力とまではいかなかったようです。 パソコンが得意でインターネットに関する知識は同級生の中ではずば抜けていました。 小学校六年生になると辻菜摘以外にも自宅でパソコンを使用する女子が増えます。 辻菜摘はそういった女子に使い方などを教えていました。 御手洗怜美さんもその一人です。 パソコンが得意でバスケが好きな少々大人びた少女という人物像が浮かんできます。 しかし、ミニバスケを親によって退部させられてからは、女子同士の人間関係で寂しさを埋めようとしますが、失敗し、その後孤立感を深めていきます。 さて、パクリ表記は事件に直結するトラブルと言えるでしょう。 交換日記内で辻菜摘が使用した「NEXT」という表現が交換日記内で人気になりました。 おそらくまだ英語の授業はなかったはずですし、田舎の小学生としては新鮮で大人びて感じたのでしょう。 しかし辻菜摘は自分が使用した表現をパクられるのは嫌だったようです。 ある日、交換日記内に「NEXTを使用禁止」と書き込みます。 それ以降女子はNEXTを使用をしなくなります。 しかし、その後御手洗怜美さんは交換日記内で「NEXTという単語自体はみんなが使えるものだし、辻菜摘の表現をパクったと考えるのはおかしい」という趣旨の反論をします。 その後、辻菜摘と御手洗怜美さんの亀裂は決定的になります。 辻菜摘は小学校五年生の当初カフェスタ上でHPを開設した際には命の大切さを歌った詩を掲載するなど、いわゆる「いい子」なユーザーでしたが、徐々に当時の2ch用語やアスキーアートの使用が増えていき、ネットギーグ化していきます。 これは将来漫画家になりたいと考えていたことも影響しているでしょう。 特に2chや他の大人が交わる掲示板で有名だったということはないようです。 あくまで仲間内だけでインターネットを楽しんでいたが、現実世界のトラブルをネット上に持ち込んだことで、辻菜摘内部の憎しみが一方的に肥大化していったと言えます。 しかし、そういった状況のクラスだったため、各生徒の状況等ほとんど引き継がれる事なく、男性教師は前年度の情報がほぼないまま受け持つこととなりました。 ですので、当然辻菜摘の状況も教師は知る由はありません。 そして御手洗怜美さんに関してはクラスの学級委員長を務めるなどリーダー的存在で、教師から「ミタちゃん」と呼ばれるなど信頼されていました。 信頼し手離れしたことが、生徒の人間関係に気づけなかった要因と言えます。 また、事件の泥沼化した原因が交換日記とインターネットという秘匿性の高いメディアにあったことも原因です。 事件は現在から15年も前ですから、田舎の小学校教師のパソコンやインターネットに関する知識やリテラシーは貧弱だったでしょう。 加害者といえど彼らは法律上守られるべき存在のため、社会復帰を阻害する要因は防がなければなりません。 具体的には不特定多数からの嫌がらせや報復、プライバシーの侵害、定職につけないなどは、犯罪加害者といえど、更生につながらないと見なされます。 そのため、現在では養子縁組や結婚等も含めて、改名をした場合に新しい名前が漏れることは絶対にありませんし、その後の足取りが特定されることもありません。 仮に謝罪をしたいとして本人が被害者に連絡をしたらかなりの高確率で情報が漏れることになります。 そのような危険は本人も犯さないでしょうし、弁護士や保護観察士等含め加害者側の関係者もそのような行動は起こすのを良しとしないでしょう。

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