小内誠一。 菊のカーテンが明かされる? 「小内誠一」は、現代の「大内糺」か?(宮本タケロウ)

美智子“女帝”は何を壊したのか 寛仁殿下までも漏らした「苦言」が明らかに

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その製麺機器で、トップシェアを誇るのが「冨士製作所」(群馬県藤岡市)だ。 従業員は94人(3月1日現在)と、大きな企業ではない。 創業以来の挑戦する姿勢で業界トップに上り詰め、陰ながら世界の胃袋を満たしている。 売上高は30億円を下らない水準にあり、現在の世界シェアは推計で50%を誇る。 即席麺はカップ麺と袋麺に大別され、フライ麺と油で揚げないノンフライ麺の2種-つまり、4通りの組み合わせがある。 これら全てに対応した製造ラインの開発、製作ができるのは世界を見渡しても同社だけだ。 平成26年3月には、独自性に加え、世界シェアと利益の両立などが評価され、経済産業省から表彰された。 匠の技で、新技術も多く開発してきた。 例えば、ノンフライ麺を乾燥させるために50~60分かかっていたところ、10分の1の5~6分にまで短縮できた。 これまで取得した特許も300件を下らないという。 取引先は菓子メーカーも含め、国内三十数社。 少なくとも約1億円の製麺ラインは世界48カ国で稼働し、ラインにして約900台に上る。 「簡単にNOと言わない」。 完全受注生産を貫く同社のモットーだ。 3代目の櫻澤誠社長(53)は「むちゃぶりにも応じてきた結果、今がある」と笑う。

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【北関東のやぼう・群馬】即席麺で世界の胃袋満たす ノンフライ麺の乾燥技術など特許300件超 製麺機器トップの富士製作所(1/2ページ)

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ルーツは戦後間もない昭和21年、櫻澤社長の祖父、志磨雄氏が創業した「櫻澤製作所」(高崎市)だ。 出征先の南方から引き揚げ、配電盤などを製造する会社を興した。 即席麺の黎明期に、食品問屋を営み即席麺の製造にチャレンジしようとしていた戦友から、「手間がかかり、過酷な作業の麺を油で揚げる作業工程を自動化できないか」と相談を受け、志磨雄氏は38年、「コンベヤー式フライヤー」の開発に成功。 徐々にそれが広まり今日に至る。 即席麺は既に世界各国で製造され、残る有望な市場は「勢いのあるアフリカ、中東、東欧が挙げられる」(櫻澤社長)という。 国内では少子高齢化が進み、おのずと消費量は減っていく。 打開策は「ニーズの少し先へいって提案すること」(櫻澤社長)。 あくまでこつこつ、堅実にさらなる高みを目指す。 (前橋支局 吉原実、写真も) セールスポイント きめ細かい仕事がセールスポイントである同社は輸出後のケアとフォローにも余念がない。 現地に2週間程度泊まり、機器の立ち上げや指導を行う。 製造部の大ベテラン、小内誠一さん(62)はこれまで数十カ国に足を運んだという。 選抜された社員が派遣されるため、「責任重大だが、幸せなことです」と語った。

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文/佐藤公子 宮内庁は何故隠したがるのか? 宮内庁による言論統制はあるのだろうか? 悠仁さまについて「罰則付き報道規制」と呼ばれるものがある。 つまり、宮内庁と宮内庁記者クラブのあいだで「 悠仁さまに関する報道には、宮内庁から提供された写真・映像のみを使う。 もし違背行為があれば、今後、宮内庁は便宜供与をしない」という協定が交わされていたことだ。 この「罰則付き報道規制」の存在は、上杉隆『ジャーナリズム崩壊』(幻冬舎)のなかではじめて明らかにされたものであるが、元宮内庁職員の小内誠一さんによれば 「これは氷山の一角」であるという。 一番有名なのは、天皇陛下と雅子さまの成婚報道です。 国内メディアは報道協定により一定期間、この話題を記事にできなかったため、第一報が海外の新聞(ワシントンポスト)となりました」(小内誠一さん) さらに小内さんによれば、昭和天皇の下血や、宮内庁長官(湯浅利夫)の第三子希望発言にも報道協定があったという。 では悠仁さまの「罰則付き報道規制」が適用されたことはあるのか? 「全社が協定を守ったため罰則はは都合されませんでしたが、2008年2月に悠仁さまが顔面に怪我を負われ縫合手術を受けられた際も報道協定が交わされ、悠仁さまが回復されるまで発表が自粛されました」(小内誠一さん) 紀子妃の右手(秋篠宮ご夫妻記念撮影、紀子妃やさしい心遣い) 紀子さまが秋篠宮殿下の髪を右手で整えているようにも、額を拭っているようにも見える。 一見すると微笑ましい写真であるが、これが宮内庁から「掲載をやめてほしい」との要請があった。 当時の緊急ファックスが残っている。 次のような文面である。 「宮内庁総務課、芦澤係長から「秋篠宮ご夫妻記念撮影、紀子妃やさしい心遣い」の写真は、記念撮影ではないので取り消してほしい、との強い申し入れがありました。 この件につき、各部長のご意見を至急お寄せ下さい」(1990年6月29日20:08) しかし、すでに輪転機が動いていたこと、そしてカメラマンだった中山俊明さんが頑強に粘ったことから、宮内庁により差し止め工作は失敗した。 翌日の朝刊には(あの新聞赤旗でえさえ)「紀子妃の右手」写真を載せた。 しかし頑固を貫いた代償も大きく、この写真を撮った中山俊明さんは「嘱託カメラマンから追放」されることになった。 識者たち好印象も、宮内庁「厳罰に処せ」 この「紀子妃の右手」写真について、識者たちは総じて好印象のコメントを発表している。 一橋大学教授・南博さんは 「私は最初、宮内庁が問題ありとした今回の秋篠宮の写真は、国民と皇室との心理的距離を縮めるため、宮内庁が意図的に流したものだと思っていたんです」と述べていたほどだ(週刊ポスト 1991年7月20日号)。 坂坂本三十次官房長官も、7月9日午前の定例記者会見で 「なかなかほほ笑ましい自然なスタイルだ。 ほほ笑ましい写真は悪いことではなく 国民が皇室に対して〉親近感を感じるだろう」とコメントした。 また、評論家の吉武輝子さんは 「宮内庁にはセンスのいいPRマンがいないようですね。 せっかくほほ笑ましくて庶民的な皇室のイメージが出てきたのに、それを必死で抑えようとするなんて。 写真のどこが宮内庁の気に障ったかは分かりませんが、やはり妻は一歩下がってというのが必要だったんじゃないですか」と述べている(東京タイムス 1991年7月20日号)。 さらに宮内庁は「嘱託カメラマンのルール違反」を対外的に言い立てはじめ、それに対しメディア側も(今後の便宜供与拒否を恐れ)いっさいインタビューに応じず、組織としての態度を明確にしなかったため、徐々に世間では 「勝手に撮って、許可を取らず掲載したカメラマンが悪いのでは?」という空気が醸成されていった。 さらにこれにとどめを刺したのは高円宮憲仁親王(1954-2002)による次の発言だ。 われわれが公共の場所に出たときは公共のルールに従わざるを得ないけれど、逆にカメラが こちら側に入り込んだときは、こちらのルールを守る。 宮内庁に断りなく、 頼まれた以外の種類の写真を発表したのはフェアではない。 その意味で宮内庁の抗議は正しいと思います。 『週刊テーミス』1990年8月29日号 この高円宮発言に、問題の写真を撮影した中山俊明さんは 「皇居宮般といえども国有財産であり、秋篠宮の結婚式は公費が支出される公式行事です。 まぎれもなく公の場所の公の行事なんですから、はたして「こちら側」という認識は正しいのか」(週刊テーミス 1990年9月12日号)で反論したが、「皇族に異議申し立てをするなどもってのほか!」と仰天され、共同通信社を辞職せざるを得なくなった。 だれが何のために? 一人のカメラマンを追放にまで追いやった「紀子妃の右手」事件。 いったいだれが何のために「情報統制」しようとしたのだろうか? 中山俊明さんは自著『紀子妃の右手——「お髪直し」写真事件』(情報センター出版局、1991)のなかで、クレームの元について 「宮内庁内の旧守派が、皇室の威厳を保とうとして自粛要請を勝手にしたのだろう」と推測している。 しかし元宮内庁職員の小内誠一さんは 「宮内庁は省庁に過ぎず、皇族方の意向を無視して勝手にスタンドプレイすることはありません。 さらにその上で、 「当時、秋篠宮殿下と紀子さまのお二人は『皇族としての威厳が全くない』と宮内庁内で散々の評判でした。 秋篠宮殿下は庶民的な方なので、一般人の結婚式と変わらない映りになってしまうことを美智子さまは大変気にされていました。 髪を触るという行為はマナー違反ですから、写真を検閲された美智子さまあたりが、差し止めを求めたのではないでしょう。 小林忍侍従の日記には、極めて激しい口調で次のように記されている。 平成2年6月20日(土曜日) この四方のお写真は、正式の記念写真として問題がある。 秋篠宮殿下が両手を前で組んでいるのは論外。 最高の正装をし極めて改まった写真であるべきところ、 こんな姿勢では良識を疑われるというべきである。 従来から殿下は両手を組むくせがおありのようで、そういう写真をよく見る。 陛下の左手も甚だよくない。 掌を大きく開いている。 自然にのばすか、軽く握るかすべきであろう。 これもくせらしく、竹の間における国賓との写真でもみかける。 いずれもこの場に立合ったに違いない側近(侍従か)の者が当然注意してお直し願うべきである。 カメラマンはそこまで立入って申しあげることはできない。 折にふれ報道される写真であるだけに、 特に日頃からキリットしない動作の多い秋篠宮殿下にとって大きなマイナスである。 立合った側近の責任重大である。 小林忍『昭和天皇 最後の侍従日記』文藝春秋、2019 平成皇室の特異性 以上をまとめよう。 事実、問題の写真を撮影した中山俊明さんも、写真にクレームを入れてくる美智子さまと紀宮清子さまに苦言を呈し、平成皇室に特異性を指摘している。 昭和天皇の時代も、写真のクレームといえばたいていは皇太子(現天皇)一家が住む赤坂からやって来た。 しかし赤坂の侍従がつねにクレームをつけているわけではなかった。 嘱託カメラマンが撮った写真のうち発表までに時間的余裕のある場合はかならず事前チェックを受けなければならなかった。 昭和天皇の写真が侍従の検閲にひっかかったり、クレームがついたことはほとんどない、と先輩嘱託カメラマンからきいたことがある。 ところが赤坂は皇太子、美智子妃はじめ一家がすべて写真を見る。 その場合も決して、 「妃殿下がお気に入りではないようで」などという無粋な言い方はしない。 しかも写真のどこがどう悪いと具体的に指摘することもない。 「もうすこし違った写真はないでしょうか」というもってまわったていねいな言い方でくる。 考えようによってはこれはカメラマンへの気づかいともいえた。 「写真の出来が悪いなどと失礼なことを言っているわけではないのですが…」とすべてが碗曲に表現されるのだ。 …… クレームがつくのはほとんどの場合、美智子妃と紀宮の写真だった。 女性が写真の写りを気にするのはあたりまえ。 皇族といえども例外ではない。 中山俊明『紀子妃の右手——「お髪直し」写真事件』(情報センター出版局、1991) 報道協定は今も続いている。 本当の皇室の姿が国民の前に明らかになる日は来るのだろうか?.

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