千葉女子高校。 千葉県 小・中学生の姉妹 女子高校生の計3人感染 新型コロナ

【千葉県】女子校の高校一覧 (偏差値・口コミなど)|みんなの高校情報

千葉女子高校

設置学科 [ ]• 概要 [ ] (43年)に香取郡立高等女学校として創立され、戦後は「 千葉県立佐原女子高等学校」となり、長らく香取地域の女子教育の殿堂として地域住民に親しまれて来たが、(15年)からの、高校への移行に伴い、現在の校名に改称された。 学校名は将来的に入学する可能性がある近隣中学校を対象に一般公募で選出された。 なお、「白楊」とは「」のことである。 校名が「白楊」に決定した理由は、共学化により新しいスタートを切るということで「白」というイメージが相応しいこと、共学化当時の 市の木(旧)が「ポプラ」であったことなどによる。 共学化と単位制への移行により入学志願者が急増し、度には新入生の定員を1学級増やした。 沿革 [ ] 略歴 [ ] にはに設立されたが存在していたが、、町当局はこれを定員150名、修業年限3ヵ年の町立女学校に転換、の校舎に間借りし、小学校長が校長を兼任する形で佐原町立女学校が開校した。 、議会は佐原町に郡立高等女学校を設置すべきとする決議を全会一致で採択、これを受けて佐原町議会では町立女学校の郡立移管が決議され、に香取郡立高等女学校が設立された。 創立当初は学校当局の勧誘にも関わらず定員割れの状況が続いたが、徐々に入学希望者は増え、学年あたり1学級の定員では限度を迎えていた。 、佐原町より寄付された現校地に新校舎が竣工し、移転している。 、廃止に伴い県立に移管され校名が千葉県立佐原高等女学校に改称、の新入生よりとの(からに改定 )、にはがそれぞれ制定された。 の勃発、戦線の拡大につれて佐原高女も戦時体制に徐々に組み込まれ始め、での出征兵士見送りが頻繁になり、には射撃演習や援農・農繁期の託児所・洗濯・縫製作業が授業時間を削って行なわれるようになった。 勃発の翌年にはが停止され、代わって整備の勤労奉仕が行なわれた。 には佐原高女の校舎が山下電気の工場に転用され、生徒によるの生産が始まり、通常の教育活動は停止を余儀なくされた。 敗戦後のにが制定、新制高校への移行を控え、同窓会による校舎増改築の資金集めが行なわれ、佐原町による嘆願書が作られた。 当時の佐原高女の施設では新制高校の設置基準に満たないと見られていたためである。 、佐原高女は千葉県立佐原女子高等学校として新制高校に移行した。 移行当初の佐原女子高校では選択教科制・単位制が採られ、現在の佐原白楊高校の姿を先取りしていた。 この年の7月には昼間定時制が併設されている。 、軍政部の勧告を受けた教育委員会は高校再編成を行い、佐原女子高校は男女共学化され、千葉県立佐原第二高等学校に改称された。 この年、佐原二高は5名の男子生徒を迎えている。 また、この頃には・制服・が改定されている。 、校名が千葉県立佐原女子高等学校に戻された。 この改称は前年9月に千葉県内の二高・三高を名乗る公立高校が連名で教育委員会には学校間の序列を連想させるとする陳情を行なった事による物である。 この校名復帰により、男子入学者が限りで途絶えた 後も形式上男女共学とされてきた同校は名実ともに女子校に戻っている。 この年の6月には以来の第1校舎に代わる、新本館が竣工した。 に第2棟、に第3棟が竣工、には校地の背後に控える丘を切り開いたが完成し、現在の佐原白楊高校に至る施設の大枠が整備された。 度の入学生から、に制定されて以来制服として用いられてきた茶色の線のに代わり、オリーブグリーンのセミダブルとグリーン・グレー・ワインのストライプ柄の新制服(まで、から現制服 )の導入が始まった。 、香取地区佐原女子高等学校共学化検討委員会が発足し、学区内の中学生や保護者の意識調査を行うなど、佐原女子高の共学化に向けた動きが活発化する。 当時、学区内の高校6校の内、2校が女子校であった事と周辺学区・からの者の流入により、学区内男子の高校定員枠が小さくなる傾向にあった事、また、学区内の中学生数の割合が男子は横ばいが続いていたのに対し女子は減少傾向にある事などの要因により、地域から佐原女子高の共学化を求める声が上がっていた。 、千葉県教育委員会から、単位制導入・学年定員4学級の全日制普通科高校とする共学化案が示され、校内の準備作業が進んでいく。 には学区内の中学生・保護者・一般市民を対象に新校名の募集が行われ、「佐原白楊」「佐原緑風」「佐原翔進」「佐原創生」「佐原悠拓」などの案から、翌年3月22日の県教育委員会会議で「佐原白楊」が採用された。 4月1日、佐原女子高等学校は千葉県立佐原白楊高等学校に改称、に開校式が行われ、県下初の単位制共学高校として再スタートを切った。 年表 [ ]• - 香取郡立高等女学校として設立• - 現在の校地に移転• - 県移管に伴い、千葉県立佐原高等女学校に改称• - 学制改革に伴い、千葉県立佐原女子高等学校(通常課程普通科・家庭科)に改称、定時制家庭科併設• - 高校再編成に伴い、千葉県立佐原第二高等学校に改称、男女共学化• - 定時制の生徒募集が停止• - 千葉県立佐原女子高等学校に校名復帰、第1棟校舎が完成• - 家庭科の学科名を家政科に改称• - 普通科にコース制導入、家政科を生活デザイン科に学科改編• - 生活デザイン科募集停止• - 千葉県立佐原白楊高等学校に改称、単位制・男女共学化 校歌 [ ] 佐原高女のが制定されたのは、の事 で、作曲は、作詞はによるものであった。 制定当時の校長の回想によれば、校長だったに相談の上、学校の資料を渡して依頼したという。 佐原二高時代のに制定された 校歌は、作曲が、作詞がによるもので 、同年、作詞者を学校に招いて発表会が行われた。 には校歌の一節「自律」が校訓に加えられている。 共学化とともに制定された現校歌「道」は、作曲が、作詞がによるもので、大中が初代校歌作曲者の信時に師事したという縁から新校歌作曲を依頼したところ、大中が従兄弟の阪田(「」の共作者でもある)に作詞を依頼したものである。 校章・校旗 [ ] 校章 [ ] 香取郡立高女のがはじめて制定されたのは現校地に移転したの事で、当初はの紫色のひもにの流れを示す波型の白テープを縫い付けた物だった。 、新たに制定された徽章の図案は楕円形の中に利根川の流れとを示す鋒形を描いたものであり、中央に高女の文字が配されていた。 当初、徽章は袴の紐に付けていたが、後に制服の胸に付けるようになった。 やがて徽章の形も楕円形から婦徳を表すの形に改められた上で新制高校移行まで用いられた。 高校再編後のには3代目の校章に改められた、図案は真・善・美を表す3本のペン先の間を佐原を象徴するポプラの葉で飾り、中央に高の文字が配されていた。 共学化・校名改称とともに改められた現校章はポプラの樹形を図案化した卵形の楕円を3つ組み合わせる事で3つの校訓(自律・創造・友愛)の調和を表し、これに佐原白楊のローマ字の頭文字S・Hの文字を組み合わせたものである。 校旗 [ ] 、香取郡立高女に皇太子嘉仁親王(後の)がした。 この行啓に際し、校長のデザインによる校旗が制定された。 旗の中心に校名を染め抜き、その上部にを象徴すると葉の図案を配し、下部には生徒を象徴するの図案を配した物だったが、現存していない。 2代目校旗は、徽章と同時に制定され、3月に校旗奉戴式が行われている。 3代目校旗はに制定 、共学化を控えたに4代目となる現校旗が納品された。 定時制 [ ] 、教育の機会均等の理念に基づき、佐原女子高校においても昼間定時制の家庭科が併設される事になった。 新制高校の通常課程はこの年の4月に設置されていたが、定時制課程の認可は、24名の新入生を迎えた入学式はにずれ込んだ。 開校当初の授業日は不定期で週3日程度であったが、翌度から週4日の授業が行われるようになっている。 しかし、定時制の教育体制は固まっても、入学数は伸び悩んだ。 要因は、3年制の全日制に対し定時制は4年制だった事、普通科を中心に設置した夜間定時制に比べ、農業科や家庭科設置校が多かった昼間定時制の不人気で、同校に限らず、廃止や普通科への転換を余儀なくされるケースが相次いだのである。 定時制はに募集停止となり、に廃止された。 統計情報 [ ] 在校生の出身中学校 2017年4月7日時点の在校生(608名)の出身中学所在地を自治体別に分類すると以下の通りである。 香取市:222名• :133名• :52名• :41名• :32名• ・:各28名• :22名• :20名• :8名• :7名• :5名• :4名• :3名• :2名• :1名 主な出身中学校別の在籍数では、香取市立佐原中学校が85名と最多で、次いで小見川中学校の43名、東庄町立東庄中学校の32名、神崎町立神崎中学校の28名、と香取市立佐原第五中学校が各27名、とが各22名、稲敷市立東中学校から21名、香取市立香取中学校が20名となっている。 アクセス [ ]• JRより徒歩9分 脚注 [ ] []• 『道 百年の歩み』p. 『道 百年の歩み』p. 28,72• 『道 百年の歩み』p. 『道 百年の歩み』p. 『道 百年の歩み』pp. 48-49• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』pp. 215-220• 『道 百年の歩み』p. 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』pp. 237-238• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』pp. 250-253• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』p. 262• 『道 百年の歩み』pp. 50-51• 『道 百年の歩み』口絵 p. 『道 百年の歩み』p. 『道 百年の歩み』p. 『道 百年の歩み』p. 『道 百年の歩み』p. 『道 百年の歩み』p. 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』p. 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』p. 482• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』p. 154• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』p. 255• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』p. 483• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』pp. 255, 257• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』p. 257• 『道 百年の歩み』pp. 55-56• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』口絵 p. 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』p. 130• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』p. 176• 『道 百年の歩み』p. 『道 百年の歩み』p. 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』pp. 116-117• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』p. 118• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』p. 176• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』口絵 p. 『道 百年の歩み』p. 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』pp. 237-238• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』p. 239• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』p. 239• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』p. 240• 千葉県立佐原白楊高等学校『平成29年度 学校要覧』p. 15 2017年• 参考文献 [ ]• 『道 百年の歩み』(千葉県立佐原白楊高等学校創立百周年記念誌編纂委員会)2011年発行• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』(千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念事業実行委員会内記念誌編纂委員会)2004年発行 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• この項目は、のに関連した です。

次の

千葉女子高校(千葉県)の情報|進研ゼミ 高校入試情報サイト

千葉女子高校

・110年以上の歴史を重んじる伝統校 1900年創立の千葉女子高校は長い歴史と伝統を受け継ぎ、 教養と品格を兼ね備えた女子生徒を育成する高校で、普通科と家政科に分かれています。 2014年、普通科に県内初の教員基礎コースが設置され、提携大学の教員による講義や支援学級などの実習が受けられます。 家政科では専門科目によって資格取得ができる他、 進学希望者のためのサポートも充実しています。 3年に1度の船旅や百人一首大会など、独自の楽しい行事も人気があります。 ・現役進学率が9割を超える 千葉女子高校は現役の合格者数が多いことでも知られ、2017年度の 現役進路決定率は92. 毎日の学習に加え、朝や放課後、土曜の補習、夏期・冬期休暇の課外授業など教師による手厚いサポートで現役合格へと導きます。 また、国際交流にも力を入れており、習熟度別の少人数クラスやホームステイプログラムなど、 レベルの高い英語教育が受けられる点も魅力です。 ・全国レベルの部活動で思い出作り 千葉女子高校の部活動は 体育系が13部、文化系が24部あります。 体育系ではなぎなた部が各大会で優勝・準優勝などを果たしており、文科系ではオーケストラ部が全国大会で金賞を受賞した他、合唱部、マンドリン・ギター部なども優秀な成績を収めています。 また、書道部や弁論部、文学部なども大きな大会で活躍しています。 ・歴史と伝統を誇る清楚な制服 制服は紺のジャケットとスカートで、学年ごとに色が変わるネクタイと白いソックスを着用します。 スカートの長さなど制服には厳しい決まりがありますが、生徒は学校の方針を理解し素直に従う傾向にあります。 制服以外に関しての校則は、やや緩めという意見も聞かれます。

次の

私立高等学校名簿/千葉県

千葉女子高校

設置学科 [ ]• 概要 [ ] (43年)に香取郡立高等女学校として創立され、戦後は「 千葉県立佐原女子高等学校」となり、長らく香取地域の女子教育の殿堂として地域住民に親しまれて来たが、(15年)からの、高校への移行に伴い、現在の校名に改称された。 学校名は将来的に入学する可能性がある近隣中学校を対象に一般公募で選出された。 なお、「白楊」とは「」のことである。 校名が「白楊」に決定した理由は、共学化により新しいスタートを切るということで「白」というイメージが相応しいこと、共学化当時の 市の木(旧)が「ポプラ」であったことなどによる。 共学化と単位制への移行により入学志願者が急増し、度には新入生の定員を1学級増やした。 沿革 [ ] 略歴 [ ] にはに設立されたが存在していたが、、町当局はこれを定員150名、修業年限3ヵ年の町立女学校に転換、の校舎に間借りし、小学校長が校長を兼任する形で佐原町立女学校が開校した。 、議会は佐原町に郡立高等女学校を設置すべきとする決議を全会一致で採択、これを受けて佐原町議会では町立女学校の郡立移管が決議され、に香取郡立高等女学校が設立された。 創立当初は学校当局の勧誘にも関わらず定員割れの状況が続いたが、徐々に入学希望者は増え、学年あたり1学級の定員では限度を迎えていた。 、佐原町より寄付された現校地に新校舎が竣工し、移転している。 、廃止に伴い県立に移管され校名が千葉県立佐原高等女学校に改称、の新入生よりとの(からに改定 )、にはがそれぞれ制定された。 の勃発、戦線の拡大につれて佐原高女も戦時体制に徐々に組み込まれ始め、での出征兵士見送りが頻繁になり、には射撃演習や援農・農繁期の託児所・洗濯・縫製作業が授業時間を削って行なわれるようになった。 勃発の翌年にはが停止され、代わって整備の勤労奉仕が行なわれた。 には佐原高女の校舎が山下電気の工場に転用され、生徒によるの生産が始まり、通常の教育活動は停止を余儀なくされた。 敗戦後のにが制定、新制高校への移行を控え、同窓会による校舎増改築の資金集めが行なわれ、佐原町による嘆願書が作られた。 当時の佐原高女の施設では新制高校の設置基準に満たないと見られていたためである。 、佐原高女は千葉県立佐原女子高等学校として新制高校に移行した。 移行当初の佐原女子高校では選択教科制・単位制が採られ、現在の佐原白楊高校の姿を先取りしていた。 この年の7月には昼間定時制が併設されている。 、軍政部の勧告を受けた教育委員会は高校再編成を行い、佐原女子高校は男女共学化され、千葉県立佐原第二高等学校に改称された。 この年、佐原二高は5名の男子生徒を迎えている。 また、この頃には・制服・が改定されている。 、校名が千葉県立佐原女子高等学校に戻された。 この改称は前年9月に千葉県内の二高・三高を名乗る公立高校が連名で教育委員会には学校間の序列を連想させるとする陳情を行なった事による物である。 この校名復帰により、男子入学者が限りで途絶えた 後も形式上男女共学とされてきた同校は名実ともに女子校に戻っている。 この年の6月には以来の第1校舎に代わる、新本館が竣工した。 に第2棟、に第3棟が竣工、には校地の背後に控える丘を切り開いたが完成し、現在の佐原白楊高校に至る施設の大枠が整備された。 度の入学生から、に制定されて以来制服として用いられてきた茶色の線のに代わり、オリーブグリーンのセミダブルとグリーン・グレー・ワインのストライプ柄の新制服(まで、から現制服 )の導入が始まった。 、香取地区佐原女子高等学校共学化検討委員会が発足し、学区内の中学生や保護者の意識調査を行うなど、佐原女子高の共学化に向けた動きが活発化する。 当時、学区内の高校6校の内、2校が女子校であった事と周辺学区・からの者の流入により、学区内男子の高校定員枠が小さくなる傾向にあった事、また、学区内の中学生数の割合が男子は横ばいが続いていたのに対し女子は減少傾向にある事などの要因により、地域から佐原女子高の共学化を求める声が上がっていた。 、千葉県教育委員会から、単位制導入・学年定員4学級の全日制普通科高校とする共学化案が示され、校内の準備作業が進んでいく。 には学区内の中学生・保護者・一般市民を対象に新校名の募集が行われ、「佐原白楊」「佐原緑風」「佐原翔進」「佐原創生」「佐原悠拓」などの案から、翌年3月22日の県教育委員会会議で「佐原白楊」が採用された。 4月1日、佐原女子高等学校は千葉県立佐原白楊高等学校に改称、に開校式が行われ、県下初の単位制共学高校として再スタートを切った。 年表 [ ]• - 香取郡立高等女学校として設立• - 現在の校地に移転• - 県移管に伴い、千葉県立佐原高等女学校に改称• - 学制改革に伴い、千葉県立佐原女子高等学校(通常課程普通科・家庭科)に改称、定時制家庭科併設• - 高校再編成に伴い、千葉県立佐原第二高等学校に改称、男女共学化• - 定時制の生徒募集が停止• - 千葉県立佐原女子高等学校に校名復帰、第1棟校舎が完成• - 家庭科の学科名を家政科に改称• - 普通科にコース制導入、家政科を生活デザイン科に学科改編• - 生活デザイン科募集停止• - 千葉県立佐原白楊高等学校に改称、単位制・男女共学化 校歌 [ ] 佐原高女のが制定されたのは、の事 で、作曲は、作詞はによるものであった。 制定当時の校長の回想によれば、校長だったに相談の上、学校の資料を渡して依頼したという。 佐原二高時代のに制定された 校歌は、作曲が、作詞がによるもので 、同年、作詞者を学校に招いて発表会が行われた。 には校歌の一節「自律」が校訓に加えられている。 共学化とともに制定された現校歌「道」は、作曲が、作詞がによるもので、大中が初代校歌作曲者の信時に師事したという縁から新校歌作曲を依頼したところ、大中が従兄弟の阪田(「」の共作者でもある)に作詞を依頼したものである。 校章・校旗 [ ] 校章 [ ] 香取郡立高女のがはじめて制定されたのは現校地に移転したの事で、当初はの紫色のひもにの流れを示す波型の白テープを縫い付けた物だった。 、新たに制定された徽章の図案は楕円形の中に利根川の流れとを示す鋒形を描いたものであり、中央に高女の文字が配されていた。 当初、徽章は袴の紐に付けていたが、後に制服の胸に付けるようになった。 やがて徽章の形も楕円形から婦徳を表すの形に改められた上で新制高校移行まで用いられた。 高校再編後のには3代目の校章に改められた、図案は真・善・美を表す3本のペン先の間を佐原を象徴するポプラの葉で飾り、中央に高の文字が配されていた。 共学化・校名改称とともに改められた現校章はポプラの樹形を図案化した卵形の楕円を3つ組み合わせる事で3つの校訓(自律・創造・友愛)の調和を表し、これに佐原白楊のローマ字の頭文字S・Hの文字を組み合わせたものである。 校旗 [ ] 、香取郡立高女に皇太子嘉仁親王(後の)がした。 この行啓に際し、校長のデザインによる校旗が制定された。 旗の中心に校名を染め抜き、その上部にを象徴すると葉の図案を配し、下部には生徒を象徴するの図案を配した物だったが、現存していない。 2代目校旗は、徽章と同時に制定され、3月に校旗奉戴式が行われている。 3代目校旗はに制定 、共学化を控えたに4代目となる現校旗が納品された。 定時制 [ ] 、教育の機会均等の理念に基づき、佐原女子高校においても昼間定時制の家庭科が併設される事になった。 新制高校の通常課程はこの年の4月に設置されていたが、定時制課程の認可は、24名の新入生を迎えた入学式はにずれ込んだ。 開校当初の授業日は不定期で週3日程度であったが、翌度から週4日の授業が行われるようになっている。 しかし、定時制の教育体制は固まっても、入学数は伸び悩んだ。 要因は、3年制の全日制に対し定時制は4年制だった事、普通科を中心に設置した夜間定時制に比べ、農業科や家庭科設置校が多かった昼間定時制の不人気で、同校に限らず、廃止や普通科への転換を余儀なくされるケースが相次いだのである。 定時制はに募集停止となり、に廃止された。 統計情報 [ ] 在校生の出身中学校 2017年4月7日時点の在校生(608名)の出身中学所在地を自治体別に分類すると以下の通りである。 香取市:222名• :133名• :52名• :41名• :32名• ・:各28名• :22名• :20名• :8名• :7名• :5名• :4名• :3名• :2名• :1名 主な出身中学校別の在籍数では、香取市立佐原中学校が85名と最多で、次いで小見川中学校の43名、東庄町立東庄中学校の32名、神崎町立神崎中学校の28名、と香取市立佐原第五中学校が各27名、とが各22名、稲敷市立東中学校から21名、香取市立香取中学校が20名となっている。 アクセス [ ]• JRより徒歩9分 脚注 [ ] []• 『道 百年の歩み』p. 『道 百年の歩み』p. 28,72• 『道 百年の歩み』p. 『道 百年の歩み』p. 『道 百年の歩み』pp. 48-49• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』pp. 215-220• 『道 百年の歩み』p. 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』pp. 237-238• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』pp. 250-253• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』p. 262• 『道 百年の歩み』pp. 50-51• 『道 百年の歩み』口絵 p. 『道 百年の歩み』p. 『道 百年の歩み』p. 『道 百年の歩み』p. 『道 百年の歩み』p. 『道 百年の歩み』p. 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』p. 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』p. 482• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』p. 154• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』p. 255• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』p. 483• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』pp. 255, 257• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』p. 257• 『道 百年の歩み』pp. 55-56• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』口絵 p. 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』p. 130• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』p. 176• 『道 百年の歩み』p. 『道 百年の歩み』p. 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』pp. 116-117• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』p. 118• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』p. 176• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』口絵 p. 『道 百年の歩み』p. 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』pp. 237-238• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』p. 239• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』p. 239• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』p. 240• 千葉県立佐原白楊高等学校『平成29年度 学校要覧』p. 15 2017年• 参考文献 [ ]• 『道 百年の歩み』(千葉県立佐原白楊高等学校創立百周年記念誌編纂委員会)2011年発行• 『九十年のあゆみ 千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念誌』(千葉県立佐原女子高等学校創立九十周年記念事業実行委員会内記念誌編纂委員会)2004年発行 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• この項目は、のに関連した です。

次の