天気 晴朗 なれ ど 波高 し。 デザイン鏡「天気晴朗なれど波高し」 木製鏡 木の鏡 一枚板 朴の木 幅広 木彫り 漆塗り 壁掛け 彫刻 デザイン 工芸 作家 :g

天気晴朗なれど・・・(北陸〜東北〜北海道)

天気 晴朗 なれ ど 波高 し

A ベストアンサー この電文はロシアの大艦隊を迎え撃つ前に打電されたものです。 大国ロシアを相手に小国日本が寄せ集めの軍艦で海戦を挑む直前の決意を示したものです。 名文として後に有名になったのは 1.先ず海戦に勝ったこと。 (負けたら名文も残らない)しかも世界が驚く一方的といってもいいくらいの勝利をおさめた。 2.これから出撃します。 と短く報告すると同時に海の実戦経験者だけに分かる短い言葉で、これから起こる戦闘がどのようなものになるかをうまく伝えているからです。 つまり、兼ねて準備していた連合艦隊は予定どおり、故障艦も脱落艦もなく、直ちに出撃し敵を撃滅することを前文で伝えています。 後半の天気の文章も海軍の現場の人にはいろいろな情報を伝えています。 即ち、本日は天気に恵まれ海上の見通しは非常に良い。 砲撃戦に理想の天気である。 しかし、海上には高波が見られるので、魚雷艇などを使った細かな作戦を実行するには難がある。 本日の戦いは砲撃で決着がつくだろう。 ようやく近代国家の仲間入りをしたばかりの日本の存亡を賭けた戦いを前にして、七、五調の短い電文でこれだけの情報を送れるのは名文でなければ出来ません。 しかし、これが決意表明ではなく作戦の変更や指示を仰ぐ電文であれば、決して名文とはいえないでしょう。 読む人によって理解が異なるような文章は戦時に使用すべきではないでしょう。 やはり戦争に勝ったということと決意表明の電文だったからこそ後世まで語り継がれたのでしょう。 この電文はロシアの大艦隊を迎え撃つ前に打電されたものです。 大国ロシアを相手に小国日本が寄せ集めの軍艦で海戦を挑む直前の決意を示したものです。 名文として後に有名になったのは 1.先ず海戦に勝ったこと。 (負けたら名文も残らない)しかも世界が驚く一方的といってもいいくらいの勝利をおさめた。 2.これから出撃します。 と短く報告すると同時に海の実戦経験者だけに分かる短い言葉で、これから起こる戦闘がどのようなものになるかをうまく伝えているからです。 つまり、兼ねて準備していた連... A ベストアンサー 中傷だけで終わるのも何なので補足します。 Nagatosさんは、英米人なら絶対しないような間違いと、する間違いの区別ができてないようです。 質問者さんは、「Can you celebrate? 」はどっちですか?と聞いているみたいですが、それを理解されてないので、議論が平行線になってるみたいですね。 例えば日本の黒板消しの商品名で「Clean Elaser」というのがありました。 これは明らかに米英人はしない間違いです。 意味不明です(「きれいに消せる黒板消し」と言いたいのだろうが、「黒板消し自体がきれい」という意味にしか聞こえない)。 こんな間違いは英語の歌詞にもないでしょう。 結論を言うと、「Can you celebrate? 」は微妙なところだと思います。 「Clean Elaser」ほどひどくはないけど、英米人は言わないでしょう。 でも、歌詞になら使ってもおかしくはない・・かな??という感じです。 聞くひとも、意味はかろうじて推測できるかなという程度だと思います。 賢いひとなら、こんな詩は書かないでしょうね。 慣用だからとあきらめずに、正しい英語を使おうと努力する姿勢を評価したいですね。 中傷だけで終わるのも何なので補足します。 Nagatosさんは、英米人なら絶対しないような間違いと、する間違いの区別ができてないようです。 質問者さんは、「Can you celebrate? 」はどっちですか?と聞いているみたいですが、それを理解されてないので、議論が平行線になってるみたいですね。 例えば日本の黒板消しの商品名で「Clean Elaser」というのがありました。 これは明らかに米英人はしない間違いです。 意味不明です(「きれいに消せる黒板消し」と言いたいのだろうが、「黒板消し自体がきれい」という... A ベストアンサー 既に適切な回答があるので蛇足かもしれませんが、刑事手続きがどうなっているのかを知ればその違いが自ずと分かるので刑事手続きの概要を必要最小限(のつもり)説明しておきます。 長いですので覚悟してください。 全部話をするわけにもいきませんしその必要もないので質問に関するところ(主に捜査)だけ説明します。 犯罪が犯罪として処罰の対象になるためには、まず裁判に先立って、その犯罪の存在を捜査機関が知り、必要な証拠を集め、被疑者(=容疑者)の身柄の確保をしないとなりません。 これを捜査と言います。 被疑者の身柄の確保というのは、「後で裁判になった時に被疑者の出廷が必要」なので逃げられては裁判ができなくて困るというのが第一点。 それと「自由にさせておくと証拠を隠滅するかもしれない」というのが第二点。 ですから逆に言えば、「逃げも隠れもしない、証拠隠滅のおそれも無い」のであれば身柄を確保する必要はありません(一定の軽微な犯罪につき、更に例外あり)。 入院しているような人間なら逮捕しないことはよくあります。 この身柄の確保のための手続きが、「逮捕」であり「勾留(起訴前勾留)」です(起訴前と言っているのは起訴後というのがあるからですがここでは関係ないので説明しません)。 「逮捕」というのは、被疑者の身柄を確保する手続きの内、「短時間のもの」。 具体的には、身柄を拘束し最大48時間拘束し続けることです。 この制限時間が過ぎると釈放しなければなりません。 しかし、それでは困る場合には、引き続いて身柄を拘束することができます。 これが「勾留」です。 勾留は最大10日間身柄を拘束できます。 なお、勾留は1回に限り最大10日間延長することができますから、都合20日間まで勾留できることになります(例外として25日可能な場合もあります)。 ところで勾留の申請ができるのは検察官だけです。 ですから警察官が逮捕した場合には、検察官に勾留申請をしてもらうかどうか決めてもらう必要があります。 そこで48時間の逮捕の制限時間内に検察官に証拠物、捜査書類と一緒に身柄を送致しなければなりません(刑事訴訟法203条1項)。 これを「検察官送致、略して送検」と言います。 無論、警察限りで釈放する場合は必要ありません。 検察官送致を受けると検察官は24時間以内に釈放するか勾留請求をするかしなければなりません。 このような身体を拘束した被疑者を送検することを「身柄付送検」と言う場合があります。 これはなぜかと言えば、質問にある「書類送検」と明確に区別するためです。 ただ、一般には単に「送検」と言えば「身柄付送検」を意味します。 さて、では「書類送検」とはなんぞや?ということになりますが、まず前提として犯罪捜査は常に被疑者の身柄を拘束するわけではないということを知っておかなければなりません。 全犯罪件数から見れば、身柄を拘束しない事件の方が多いです。 身柄を拘束していない場合には、先に述べたように「(203条1項による)検察官送致」をする必要がありません。 と言うか、身柄を拘束していないのでできません。 たとえ逮捕した場合でも、警察限りで釈放すればやはり検察官送致の必要はありません。 しかし、それとは別に、警察は犯罪の捜査をしたら原則として必ず検察官にその捜査についての資料、証拠などを送らなければなりません(刑事訴訟法246条本文)。 これを「書類送検」と呼んでいます。 書類(証拠物、捜査資料、捜査報告書などなど)を検察官に送致するということです。 正確には送致しているのは「事件」なのですが、実際に何を送るのかと言えば「書類」であるということです。 つまり、「(身柄付)送検」と「書類送検」は同じ送検でも別の条文に基づく別の手続きです。 と言っても、(身柄付)送検をすればそのとき書類も一緒に送っているので、重ねて書類送検を行う必要はないので、(身柄付)送検は書類送検を実際には兼ねていますが(と言っても、身柄付送検をすれば書類送検をしなくていいのはあくまでも246条本文に「この法律に特別の定のある場合を除いては」と書いてあり、身柄付送検が「特別の定」だから)。 というわけで、「逮捕」と「送検」というのは次元の違う話であることがわかると思います。 まとめれば、 1.「逮捕」とは、捜査において被疑者の身柄を確保すること。 2.警察が「逮捕」した場合は、刑事訴訟法203条1項により、釈放しない限り48時間以内に被疑者の身柄を検察官に送致しなければならず、これを「(身柄付)送検」と呼ぶ。 3.「書類送検」とは、警察が捜査した事件について刑事訴訟法246条本文に基づきその証拠、捜査資料を検察官に送致すること。 4.「(身柄付)送検」は「書類送検」を兼ねている。 5.警察が「逮捕」した場合でも、釈放すれば「(身柄付)送検」はできないので、その場合は「書類送検」を行わねばならない。 ということです。 そして、「書類送検」するということは「身柄付送検」をしていないということですからつまりは「身柄を拘束していない」ということになります。 身柄を拘束していない場合というのは大概は相対的に軽微な犯罪であることが多いのでその意味では、逮捕した事件(これを身柄事件と言う場合があります)に比べれば罪が軽いことが多いのは確かです。 しかし、それはあくまで結果論であって、書類送検だから、逮捕したから、と言うわけではありません。 既に述べたように逮捕しても身柄付送検せずに釈放すれば書類送検ということになりますし。 なお、先に述べたとおり、「捜査した事件はすべて検察官に送致する」のが原則(全件送致の原則)ですが、例外として検察官送致にしないものが幾つかあります。 例えば、検察官が指定した事件について、月報でまとめて報告するだけの微罪処分ですとか、あるいは報告すらしない始末書処分などがあります。 ちなみに、交通反則通告制度については、微罪処分の一種とする文献もあるにはありますが、多少なり疑問のあるところではあります。 そういうわけで、どういう場合に書類送検となるかと言えば、「刑事訴訟法246条前段に当たる場合」ということになります。 もう少し具体的に言えば、「微罪処分等で済ませることのできない事件で、かつ、身柄付送検等もしなかった事件」ということになります。 ところで、前科というのが何かと言えば、これは法律用語ではないということになっているのですが、法律的に見れば「有罪の判決を受けたこと」を言うと思ってください。 ですから、前科が付くためには、「裁判を経て有罪判決が出なければならない」ことになります。 しかし、最初に述べたとおり「検察官送致」というのは単なる捜査手続きの一部でしかなく、この後で検察官が起訴するかどうかを決め、起訴して初めて裁判になるのですから、検察官送致だけではまだ前科は付きません。 その後どうなるかはその後の話です。 無論、逮捕だけでも前科は付きません。 逮捕=有罪ではありません(そう勘違いしているとしか思えない報道が多いのは事実ですが、有罪判決が出ない限りは被疑者、被告人はあくまでも「無罪」です)。 ちなみに、捜査したが起訴しなかった犯罪事実について「前歴」と呼ぶことがあります。 既に適切な回答があるので蛇足かもしれませんが、刑事手続きがどうなっているのかを知ればその違いが自ずと分かるので刑事手続きの概要を必要最小限(のつもり)説明しておきます。 長いですので覚悟してください。 全部話をするわけにもいきませんしその必要もないので質問に関するところ(主に捜査)だけ説明します。 犯罪が犯罪として処罰の対象になるためには、まず裁判に先立って、その犯罪の存在を捜査機...

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天気 晴朗 なれ ど 波高 し

天気晴朗なれど・・・(北陸〜東北〜北海道) 2016年6〜7月 北陸〜東北〜北海道紀行 『天気晴朗なれど・・・』 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 2016年梅雨本番。 今年は良く降りますね。 例年ならば敦賀や大洗から長距離フェリーに下駄預け、ノラリクラリと喰っちゃ寝てばかりの横着道中なのですが、上越だったり翡翠海岸だったりと行きたい所が色々溜まって来たので久々にアッチ寄りコッチ寄り陸路北上することとしました。 店を覗いて山陽道に乗り入れ先ずは下り方面。 ワタシね、とても交通量が少ない中国道がお気に入りなんです。 広島JCTで広島道に乗り移り、広島北JCTで中国道に入り、千代田JCTで浜田道が分岐すると交通量はグンと減り、オートクルーズ任せの定速運転に入ります。 三次JCTで松江道と分岐すれば更に交通量が少なくなり、追い越すことも追い越されることも無いままにマイペースで中国山地を走り抜け、吉川JCTから舞鶴若狭道へ。 走ることしばし、舞鶴を通過すると若狭路です。 そんなこんなで快調に流し、2011年にも休憩した徳光PA。 ここはね、すぐ傍に『松任海浜温泉』。 タオル片手にぶらぶら。 こんなロケーションでは到底安眠儘ならず、ビールはグッと我慢。 ひとっ走り金沢近郊『サンセットパーク内灘』海抜40mへ。 『サンセットパーク内灘』の朝。 気持ちの良い景色でした。 でもココはココで冬場は風にヤラレそうですね。 この画像背面に医大病院があるだけで、三方吹きっ曝し。 夕べは普通車の車中泊が多かったモノのキャンパーはゼロでした。 さてさて、今日のお楽しみ一号は千里浜ドライブウエイ。 砂地なのにバスまで走れる砂浜なのだ。 の、積りだったんですが、強風高波で通行禁止になっていました。 この頃浜が痩せてしまって直ぐに通行止めになるそうですよ。 土産物屋の親爺が『スマンな』って風に会釈していきました。 旧い記憶によれば幅はこの四〜五倍はあろうかという砂浜で、乗用車はおろか大型バスまでガンガン行き交う光景でしたが・・・ 治水や砂防などダムの整備が進めば山からの新たな砂の供給が減る訳でして浜が痩せたのはその反作用なのでしょうか。 仕方ない。 能登行きますか。 のと里山海道を走ります。 良い道が出来ているんですね。 この高規格道路が能登半島深部珠洲方面まで伸びているようですが、ワレワレは空港手前で輪島方面に転針しました。 四十年振りの輪島朝市。 何だか人が少ないような気もしないではありませんが・・・? 記憶の中の『天窓から朝日と朝市の喧騒が差し込む情景』を探し朝市通りを縦断します。 見つかりました銭湯の天窓。 名は白山湯。 昔々その昔ここで極上の朝湯を戴きました。 もう少し朝市をブラブラ。 孫たちへの土産に輪島塗の箸。 其々に名を入れて貰います。 お店の方に『漆が乾くまで2週間ほどは触らないで。 』と言われ、『大丈夫、そんな直ぐには帰らんよ。 着いてみてビックリ。 大きな駐車場と道の駅が出来ていました。 それにしても風が強い。 野焼きの煙が棚田を這うように昇っています。 気合が入っていますね。 良い景色と旨いコメを美味しくいただいて旅路に戻ります。 天気晴朗なれど波高し。 観光?塩田。 やってきました禄剛埼。 海岸を伝い珠洲の見附島。 俗称『軍艦島』だって。 うんうん確かに・・・ 更に海岸線を伝い和倉温泉まで出てきました。 大層立派に建て替えられた『総湯』で極上のいで湯を戴きます。 残念・・・ 鮨屋はシャリが尽きたとかで早仕舞してました。 教えて貰った駅前の鮨屋に向かいます。 駐車場もバッチリ! 板さんのお薦めはその名も『のと前、地モノ尽くし十貫盛り』。 『そりゃぁ朝じゃない、昼だろ!』なんてったってダメなものはダメ。 てな按配でアルコールは泣く泣く諦めます。 さて、今夜の野良寝。 色々調べるも、この辺りの道の駅等々は何処も海岸沿いでイマイチ・・・ 明日の旅程も考慮して北陸道に乗り『有磯海SA』に滑り込みました。 ココは安心の海抜56m。 富山湾を西に望む夕景も中々ですよ。

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秋山真之名言「天気晴朗ナレドモ波高シ」バルチック艦隊VS東郷艦隊

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秋山真之名言は「天気晴朗ナレドモ波高シ」 前列右端:秋山真之 中央:東郷平八郎 秋山真之名言と言えば「天気晴朗ナレドモ波高シ」が有名です。 作戦担当参謀として参加した日露戦争では、連合艦隊司令長官・東郷平八郎のもと「丁字戦法」を立案。 「天気晴朗ナレドモ波高シ」は、バルチック艦隊が対馬に現れた時に、大本営に打った電報の中の、日本海海戦を報告するための一文です。 「天気晴朗ナレドモ波高シ」の意味はかなり深いです。 黄海の海戦で、一度日本はソ連の旅順艦隊をすべて鎮めることができずに、霧に紛れて逃げられています。 「その時の反省を踏まえ、今日は天気が良く霧もない、今度は逃がさない。 さらに波が高く、日本は散々砲撃の訓練を繰り返してきた。 それに引き換えソ連は砲撃が下手な上に、波で上下し、ますます当たらないだろう。 東郷艦隊はバルチック艦隊に勝つ。 」 みたいな意味が込められています。 (司馬遼太郎さんの坂の上の雲から) やっぱり、秋山さんかっこいい。 完全ミーハーです。 松山の秋山兄弟の生誕地に行ってきました。 秋山真之名言 「人の頭に上下などはない。 要点をつかむという能力と、不要不急のものはきりすてるという大胆さだけが問題だ」 「流血のもっともすくない作戦こそ最良の作戦である」 秋山真之 幼名は淳五郎(じゅんごろう)。 海軍中将。 作戦担当参謀として参加した日露戦争では、連合艦隊司令長官・東郷平八郎のもと「丁字戦法」を立案。 当時最強といわれていたロシア・バルチック艦隊を日本海海戦で撃破する歴史的勝利を導いた。 日露戦争での活躍により、日本海海軍では伝説的名参謀として東郷平八郎とともに神格化された。 実兄は「日本騎兵の父」といわれた陸軍大将の秋山好古。 秋山真之の戦略・戦術立案能力は当時より高く評価されており、軍神といわれた東郷平八郎をして「智謀如湧」(ちぼうわくがごとし)と言わしめた。 日露戦争の日本海海戦にのぞむにあたり、秋山真之はあらゆる状況を想定して「七段構えの戦法」を立案した。 ちなみに七段構えはすべて実行されてはいない。 第一弾の夜間攻撃は悪天候で中止、第五〜七段は使わずに勝利を収めた。 秋山兄弟 生家 秋山兄弟の生家跡に行ってきました。 秋山真之は俳句の正岡子規の親友です。 そして、夏目漱石とも同級生ですが顔見知り程度であり、子規が夏目を紹介するといっても、さらりとかわしています。 秋山真之も、本当は文学の道に進みたかったのですが、家庭の経済事情で当時の職業軍人になりました。 お母さんは、末っ子の秋山真之を幼名の「淳五郎」から「淳や、淳や、」と呼び、かわいがっていたそうです。 お兄さんの秋山好古は、ハーフと間違えられるほどのイケメン。 どんなお母さんだったんでしょうね。 (ミーハーですみません) 日清日露戦争 私は歴史が苦手です。 日清日露戦争の話も、司馬遼太郎先生の本から教わりました。 学校の歴史の授業では、詳しい話はなかったし・・・ 日清日露戦争をわかりやすく解説してくれている文章を見つけたので転記します。 非常にわかりやすいです。 歴史が苦手な人でも大丈夫です。 (私だ…) 1895年、日清戦争が終わる。 日本は清に勝利して、日本の全権・伊藤博文首相と陸奥宗光外相は下関条約の結果、清の遼東半島、台湾、そして多額の賠償金を得た。 しかし、その3日後に横やりが入る。 ロシア、フランス、ドイツの三国が、遼東半島を清に返せと言ってきた。 三国干渉。 それぞれの思惑は、ロシア・・・遼東半島は俺がほしい。 ドイツとフランス・・・ロシアが東の遼東半島や清に目を向けてくれれば、ヨーロッパ方面の我々はロシアの矛先から逃れられる。 つまりロシアが、日本が中国大陸に足場を持つことを嫌ったわけですね。 日本は仕方なく遼東半島を清に返還した。 しかし、それはその直後ロシアによって租借されたのである。 租借とは事実上植民地にすることで、日本は遼東半島をロシアに横取りされた形になった。 こうして日本の前にはロシアという強敵が立ちふさがり、日本は「 臥薪嘗胆」をスローガンに軍民が一体となって国力の充実に励み、いつかみておれと踏ん張ったのだった。 「 臥薪嘗胆(がしんしょうたん)とは、復讐を成功するために苦労に耐えるという 意味を持つ 、中国の故事成語である。 」 10年後。 1894年、国力に自信ができ、 さらに1902年に世界一の強国・イギリスと日英同盟を結んだ日本は、宣戦布告と同時にロシアに攻撃を開始した。 当時ロシアの主戦力はその植民地の遼東の旅順にあった。 旅順港は日本の東郷平八郎率いる連合艦隊が包囲し、陸からも児玉源太郎大将の軍勢が包囲。 しかし、旅順要塞はなかなかおちず、また気負いこんだ乃木希典の肉弾戦法によって10万人の将士が犠牲になったと伝わる。 海軍は旅順港の入り口に船を沈めて艦隊を閉じ込める旅順港閉塞作戦を行う。 (秋山真之の立案) しかし、結果的には広瀬中佐を失って失敗に終わった。 その後、ロシアの旅順艦隊の司令長官・マカロフは湾から出撃してきたが日本軍のしかけた機雷で轟沈して戦死。 しかし日本も機雷によって6隻しかない戦艦のうち初瀬と八島を失った。 このとき、ロシア側には「日本の戦艦は機雷で全滅、三笠も沈んだ」と伝わったらしい。 ロシア人は日本をなめていた。 その後ロシア艦隊は司令官がいないまま黄海の海戦で先頭艦の操舵室に命中して操艦不能になり、ほかの船がそれに惑わされて敗北、旅順へ引き返した。 結局陸軍の児島大将が前線に出ると旅順は3日で落ち、旅順要塞から撃たれた大砲で港に残っていた艦隊も全滅した。 一方、ウラジオストックのロシア艦隊は日本の補給船や運搬船を沈めて大暴れをしたが、日本の第2艦隊に沈められた。 その後、陸軍は主力が奥保鞏、黒木為偵、秋山好古、西郷従道などで満州までいったが、ロシアのクロパトキン率いる大軍勢やコサック騎兵団に阻まれてそれ以上侵攻はできず。 一方、ロシアのモスクワ側北海にいたバルチック艦隊は旅順艦隊の苦戦を見かねて出撃するが、日本の同盟国・イギリスの妨害にあって1年以上もかかりスエズ運河を通らせてもらえなくて喜望峰を大回りし、やっとのことでシンガポールを経て日本海に入った。 その数、ゆうに60超 しかし、それを連合艦隊は捕捉し、対馬沖で迎え撃った。 「本日天気晴朗なれども波高し」 「敵艦隊見ゆとの報に接し連合艦隊直ちに出撃、敵を撃たんとす」 「皇国の興廃はこの一戦にあり各員一層奮励努力せよ」 名言はこの時生まれた。 T時戦法が功を奏し、日本艦隊はついにバルチック艦隊をほぼ全滅させた。 旗艦「三笠」の東郷平八郎、加藤友三郎、秋山真之などの苦労は大きかっただろうが、ここにロシア海軍をほぼ葬ったことで日本の勝利は決定的になったのである。 その後、1905年にアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領が 仲介に乗り出し、ポーツマス条約で両国は和解した。 そして、小村寿太郎外相は賠償金こそ得られなかったものの 1.ロシアは、日本が韓国において軍事上、経済上に卓越した利益を有することを承認し、日本が韓国に指導、保護および監理の措置をとることを妨げない。 2.両国は満州から同時に撤兵し、満州を清国に還付する。 3.ロシアは清国の同意を得て遼東半島南部の租借権、長春~旅順間の鉄道と沿線の炭坑を日本に譲渡する。 4.ロシアは日本に樺太の北緯50度以南を割譲し、沿海州漁業権を許与する。 この条件を引き出し、正式に戦勝国となった。 アジアの一小国が北の大熊を倒したことは、ロシアに虐げられてきた小国や、帝国主義に苦しめられてきた数々の植民地に希望と夢を与えたのであった。 しかし、日本もここから帝国主義への道を突き進む。 いわば、日露戦争までが「成長するための戦争」それ以降は「欲望による戦争」というのではないだろうか。 秋山真之 まとめ 松山を旅行して、坂の上の雲ミュージアムへ行きました。 近代的な建物です。 司馬遼太郎の坂の上の雲を読んでから行くと、さらに楽しめますよ。 秋山兄弟の生誕の地へも行きました。 すっかり、秋山兄弟にはまっています。

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